<b>「地理学」の脱構築・再構築をめざして</b>

書誌事項

タイトル別名
  • <b>Towards the deconstruction and reconstruction of “Geography”</b>

説明

本発表は、シンポジウム「自然と人間の関わりの地理学: 環境研究と社会連携」の基調講演である。前半では、純粋な自然地理学研究者として出発した筆者が、なぜ環境問題に関わり、自然と人間の関わりの地理学を目指すようになったかについて紹介する。その過程において、地理学が、環境問題や社会的な紛争への介入をつねに回避してきたこと、環境問題に関わること自体が伝統的な地理学では、”政治的”と見なされてきたことを明らかにし、そのために、伝統的な地理学は、環境問題における政策決定の”アリーナ”からは排除されてきたことを示す。このため、たとえば、洪水対策における政策決定の”アリーナ”に割り込もうとすれば、まずそれを支配している河川工学者と「たたかう」ことが必要だったのである。筆者が、四半世紀にわたるこのような環境問題への地理学者としての介入や活動をまとめた本に『たたかう地理学』というタイトルを与えたのはそのためである。後半では、そのような伝統的な地理学を脱構築し、環境問題や社会紛争の解決に役立つ新しい地理学を再構築するための可能性について論じる。1つの可能性は岩田(2018a,b)の提示する「統合自然地理学」であり、そのなかのいくつかの研究は、自然と人文を統合した真の「地理学」になっているといえる。一方、人間や環境を全く無視して、たんに自然地理だけを統合したものは「地理学」の立場からは批判されよう。環境に関わる地理学においては、位置的、空間的な「トポス」ではなく、個別的、実存的な意味をもつ「場所」(プラトンのコーラ)が重要であり、環境問題がますます人類にとって重要となる「人新世」においては、地理教育の中心は不可避的にESDにならざるを得ないこと、ESDは、地理教育者自身の、そのような具体的な「場所」との関わりや、水俣病から人類が学んだ「予防原則」、あるいは広大な「アネクメーネ」をつくりだしたフクシマの原発事故を土台として構築されるべきことを論じる。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390282763119356032
  • NII論文ID
    130007628559
  • DOI
    10.14866/ajg.2019s.0_241
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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