キリスト教神学における歴史認識 -ラインホールド・ニーバーのキリスト教現実主義-

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タイトル別名
  • Views on History in Christian Theology: Reinhold Niebuhr's Christian Realism
  • キリストキョウ シンガク ニ オケル レキシ ニンシキ ラインホールド ニーバー ノ キリストキョウ ゲンジツ シュギ

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抄録

国際政治の中で民族問題が大きな比重を占めるようになって,宗教への関心が高まって来ている.そこで本稿では,特に歴史的宗教であるキリスト教に焦点を当て,その歴史認識の特徴を明らかにし,現実社会との関わり方を探ることにした.歴史的宗教では,人間の有限性が克服される点は歴史の中にはないとみなされている.そこで,歴史的宗教は啓示的,メシア的視点を特つことになる.歴史的宗教は,まず,歴史上の一点を見て,最後に歴史の最終点(eschaton)を見る.人間は自らの有限性を否定しようと努力するが,これが歴史の腐敗の要因になる.ここで,歴史は完成されるのと同様に,浄化されなければならないことが認識される.歴史的宗教と非歴史的宗教の違いを簡単に言えば,キリストを期待するかそうでないかの違いになる.歴史が潜在的に意味を持ち,その意味の開示が期待されるところでは,キリストが期待されることになる.人生の意味が,自然や超自然の観点で説明されるところでは,キリストは期待されない.こうした見解を特つラインホールド・ニーバーは,社会との関わり方では現実主義的な対応をしていた.ニーバーは,イエス・キリストにおいての歴史の意味の出現と神の王国での成就との中間として,人間の歴史を捉えている.この見方が象徴するのは,人間の歴史的存在が無意味なものではなく,歴史的存在があってこそ神の王国が実現することを意味している.ここで,キリストの愛は,神の王国での法ばかりでなく,人間の歴史での規範にもなる.他方,現世と神の王国との間には,大きな溝がある.キリスト教の「神の審判」という概念が示していることは,人間の努力が真剣なものだとしても,それだけでは不十分だということである.ニーバーは,歴史の中での段階的な救済に反駁している.歴史の中では,善と悪は複雑に絡み合っていて,一方を除去しようとすれば,他方をも破壊してしまうことがある.よって,歴史の中では,人間の曖昧さが残ったままになる.これを認める視点こそ,現実主義の根底である.

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