谷崎潤一郎「人面疽」における〈純映画劇〉的可能性

書誌事項

タイトル別名
  • The Cinematic Possibility of Fiction in Junichirō Tanizaki's “Jinmenso”: The Unrealized Film Version of the Novel by Taishō Katsuei
  • 谷崎潤一郎「人面疽」における〈純映画劇〉的可能性 : 大正活映による映画化の試みを手がかりとして
  • タニザキジュンイチロウ 「 ジンメンソ 」 ニ オケル 〈 ジュンエイガゲキ 〉 テキ カノウセイ : タイショウカツエイ ニ ヨル エイガカ ノ ココロミ オ テガカリ ト シテ
  • ――大正活映による映画化の試みを手がかりとして――

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抄録

<p>大正活映による谷崎潤一郎「人面疽」映画化の試みを視座として、作品の批評性=〈純映画劇〉的可能性を分析した。同時代ハリウッドを反映した作中映画「執念」は一方で、欧米上位のイデオロギーを転倒させる意を孕んでいた。また「腫物」の映像化は映画鑑賞行為の幻想性を具体化する試みであった。欧米に比肩する映画を志した大正活映は、物語/表現における尖鋭性を「人面疽」に見出したと考えられる。また大正活映の試みは、怪奇的題材と視覚的アトラクション性を媒介として〈純映画劇〉と大衆を接続する契機となり得、映画と文学を結びつける営為としても意義深かったと結論付けた。</p>

収録刊行物

  • 日本文学

    日本文学 63 (12), 22-32, 2014-12-10

    日本文学協会

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