凝縮系の分子ダイナミクス,多様性の起源にせまる

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タイトル別名
  • Origin of Different Molecular Kinetics in Condensed-Phase Systems
  • ギョウシュクケイ ノ ブンシ ダイナミクス,タヨウセイ ノ キゲン ニ セマル

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抄録

<p>コップの中の水は静止しているようにみえても,ミクロな原子・分子の世界では激しく運動している.水分子H–O–Hの水素原子は正,酸素原子は負の電荷を帯びているため,隣接する水分子間で水素原子と酸素原子が電気的に引き合ってペアを作る.しかし,液体状態では温度に応じた熱運動のため,いったん正と負のペアができてもすぐに離れ,また別の水分子とペアを作る.水の中の1つのペアは,数ピコ秒程度で組換わり,1秒間に1011回を越える頻度である.</p><p>興味深いことに,水溶液や生体内では,水の他にも様々な分子が含まれ,分子運動の時間スケールは多種多様になる.例えば,蛋白質分子は表面の形や電荷分布が不均一であり,正電荷と負電荷の原子ペアは様々な環境に置かれている.そのため,ピコ秒で組換るものもあれば,マイクロ秒以上持続するものもある.特に構造上,奥まった部分にあるペアは長時間持続することが知られている.しかし,このような分子ダイナミクスの違いがどのような仕組みで生まれるのか,といった部分は明確になっておらず,凝縮系の分子科学から化学物理,生物物理といった広い分野に関係する未解決問題となっている.</p><p>このような原子ペアの組換えダイナミクスの問題は,物理現象として興味深いだけでなく,生体内の分子の働きにも関係し,生体機能を考える上でも欠かせない.例えば,正電荷と負電荷の原子ペアが,蛋白質と薬剤分子の間に形成されたものであれば,その組換え頻度は薬剤分子の効能を左右する.生体内で薬剤分子が働くには,蛋白質に結合した状態で一定時間留まる必要があり,蛋白質と薬剤分子の間にできる原子ペアの維持が決定的になるからである.また,DNAと蛋白質の間に形成されたものであれば,その原子ペアの形成はDNAの塩基配列に応じた蛋白質の結合/解離に関係する.これは,遺伝子の発現制御の重要な過程となっている.</p><p>このような分子ダイナミクスの詳細を実験から導くことは困難であったが,近年,計算機を使って導くことができるようになってきた.分子動力学シミュレーションと呼ばれる方法により,時々刻々と変わる原子の位置を追跡することができる.しかし,問題は,シミュレーションの結果をみて,分子ダイナミクスの特徴に言及することはできても,その核心部分,つまり,分子ダイナミクスに違いが現れる仕組みを知ることは容易ではないという点にある.</p><p>筆者は,いったん問題を簡略化し多様性のもとになっている基本過程を捉えようと,シンプルなイオンペアを対象に解離過程の研究を進めてきた.水中のNaとCl-の分子動力学シミュレーションを行うと,NaとCl-がペアを作ったり,離れたりする様子が観察できる.ここでLiCl,KCl,CsClのようにイオンの種類が変わると解離の頻度,つまり,解離の速度定数は大きく変わる.そして,この違いは,イオンペアを囲む水の構造から生まれることが分かってきた.水ブリッジと呼ばれる特徴的な構造の出現が鍵になっている.陽イオンと陰イオンがペアになっているとき,水ブリッジができたり壊れたりしているが,水ブリッジができると解離のエネルギー障壁が下がり,イオンペアの解離が進みやすくなる.そのため,水ブリッジが形成しやすいイオンほど,解離速度は大きくなる.</p><p>これがすべてを説明可能なメカニズムというわけではないが,様々な場面で水の構造が鍵になっている可能性がある.水分子の配位をもとにDNAや蛋白質に見られる多様な分子ダイナミクスの起源をどこまで明らかにできるか,といった展開が今後期待される.</p>

収録刊行物

  • 日本物理学会誌

    日本物理学会誌 75 (2), 90-95, 2020-02-05

    一般社団法人 日本物理学会

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