学校山岳部のパイオニア・旧制第四高等学校旅行部の研究 ―部機関誌『BERG=HEIL』に見るその登山活動と思想(その六澤田武太郎とその針ノ木峠越え)―

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タイトル別名
  • 学校山岳部のパイオニア・旧制第四高等学校旅行部の研究 : 部機関誌『BERG=HEIL』に見るその登山活動と思想(その6)澤田武太郎とその針ノ木峠越え
  • ガッコウ サンガクブ ノ パイオニア ・ キュウセイ ダイヨン コウトウ ガッコウ リョコウブ ノ ケンキュウ : ブ キカンシ 『 BERG=HEIL 』 ニ ミル ソノ トザン カツドウ ト シソウ(ソノ 6)サワダ ブ タロウ ト ソノ ハリ ノキトウゲ コエ

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抄録

金沢大学の前身、旧制第四高等学校の旅行部に関する研究報告第六回の本稿では、前回まで三回に亘り取り扱った廣瀬壽雄とともに四高旅行部の立ち上げに 取り組み、重要な役割を果たした澤田武太郎を取り上げる。澤田は四高入学以前から植物学に対する並々ならぬ情熱を持って豊かな見識を備えており、それに 伴い植物採集のため登山経験も積んでいた。大正八年一〇月の山岳展覧会・講演会の成功は多分に澤田の学識に負うものと見られ、廣瀬が自らの華々しい山行 によって世に知らしめた四高旅行部の信頼性を担保する形をなしている。また廣瀬と同行した大正九年四月の雪中安房越えの経験を踏まえて澤田が達成した大 正一〇年四月の積雪期針ノ木峠初踏破は、澤田の持ち前の科学的合理性によって登山技術指導書としての性格を持つ文章にまとめられ、スポーツ登山の可能性 を開くと共に、四高旅行部を先鋭的登山団体に成長させる種を蒔くこととなった。本稿では諸資料から澤田の実像に迫り、その山行の意義について考察する。

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