<b>Roles for recovery from Tenmei eruption disaster and the utilization of </b><b>Kambara water supply channel</b>

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  • 天明噴火災害からの復興に果たした鎌原用水の役割とその後の利用

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<p>1.はじめに</p><p> 日本を代表する火山の一つである浅間山の麓に位置する群馬県嬬恋村は、これまでその噴火活動による影響を何度も受けてきており、とくに1783年に発生した天明噴火の際には、甚大な被害に見舞われた。一度噴火すれば山麓で暮らす人々にとって脅威となる浅間山ではあるが、そこで生活を営むために必要となる様々な恵みをもたらす存在でもある。その一つの例が、貴重な水資源として古くから活用されている湧水である。天明噴火で甚大な被害を受けた鎌原集落でも、そのような湧水を起源とする「鎌原用水」が流れる様子を見ることができる。</p><p> 今回はこの鎌原用水が、本地域(とくに鎌原集落)が天明噴火による災害からの復興過程において果たした役割と、利用の変遷を明らかにするために行った調査結果を報告する。</p><p>2.鎌原村の天明噴火による被害と復興</p><p> 天明噴火以前の鎌原集落は、加賀国金沢から信濃国追分に至る北国街道の裏街道として敷かれた信州街道の宿場町として栄えていた。1783年に発生した天明噴火の際に発生した鎌原土石なだれが集落を襲い、一瞬にして家屋や住民を埋めてしまった。これにより当時の鎌原村の人口570人のうち、477人が亡くなったほか、土石なだれが吾妻川に流入し泥流化したことにより、利根川沿岸も含め1000人以上の犠牲者を出すに至った。</p><p> 一部の住人が逃げ込み命をつなぎ止めた場所である「鎌原観音堂」に隣接する「おこもり堂」では、現在も地域住民が当番制で詰めており、来訪者にお茶や漬け物などを振る舞っている。また地元の語り部により、天明噴火の様子などについて話を聞くこともでき、東日本大震災以降は災害遺構として再注目されている。</p><p> これだけ甚大な被害を受けたにもかかわらず、生き残った鎌原村の住人達は、集団移転はせずに代々暮らしてきたこの土地(埋もれてしまった集落上)での再建を決めた。その際、生き残った93人を身分や家筋に関わりなく、性別や年齢構成などに基づき編成した7組の家族に分け、公平を期すため全ての家族に田畑を含む土地を均等に配分した。その後、鎌原集落の世帯数は30年で20軒に増え、明治初頭には天明噴火以前の世帯数にまで回復した。</p><p>3.鎌原用水源が復興に果たした役割</p><p> 集落を埋めた土石なだれ堆積物の厚さが5.5mもあったことから、沢水や地下水が得にくい環境にあった鎌原集落では、生活用水の確保に苦労していた。そこで目を付けたのが、噴火直後に鬼押出し溶岩の末端部から湧き出した湧水である。これが「鎌原用水」の水源となっており、水道が敷設される1958年までは集落の生活用水として活用されてきた。</p><p> しかし、発見された当初は高温の溶岩の影響で熱湯が湧出しており、生活用水として用いられることはなかった。そこで隣接する大笹宿で問屋と名主を兼ねていた黒岩長左衛門(鹿沢温泉や万座温泉の開湯に関わった人物)は、その熱湯を大笹まで引湯し、街道を行きかう旅人や地元住人のために無料で入浴できる湯小屋(温泉施設)を建造した。完成までに5年ほどの時間を費やしたが、引湯設備や湯小屋の建設工事には、噴火災害で家や職を失った多くの被災者が雇用されたことで、地域の復興にも大きな役割を果たした。この工事にかかった総工費は250両(現在の価値で2500万円)にも及んだと言われている。溶岩が冷え水温が低下したため、湯小屋は約20年で営業を終えたが、その後はこの湧水が鎌原へと送られるようなり、住人はこれを生活用水に用いるようになった。</p><p>4.鎌原用水の様々な活用方法</p><p> 鎌原へ引水されるようになったこの湧水は、日常的な利用に加え、農業用水や水路に水車を設置し脱穀に利用したり、冬場に水車についた氷を氷室に貯蔵して夏場に利用するなど様々な用途で活用された。また、鎌原用水にはフッ素が含まれているため、住人たちは歯が丈夫であったと言われていた。なお、発表当日はフッ素の測定結果についても報告予定である。</p><p> 鎌原用水源となっている湧水は約4℃と低温で(鈴木、2007)、稲作には不向きであった。昭和30年頃、近くを流れる小熊沢から引き入れた水を鎌原用水に合流させることで、水温を上げるための措置が取られて以降は稲作が盛んになり、鎌原産のコシヒカリが近年ではブランド米になるまでに成長した。2019年8月28日に現地調査を行ったところ、流下とともに水温が4.9〜10.3℃まで上昇し、小熊沢からの水が合流するとさらに2.3℃以上上昇することが確認された。</p><p> 水道が普及した現在の鎌原用水は、農業用水として利用されるほか、鎌原集落では防火用水としての役割も担っている。また、水源となっている湧水の一部は、嬬恋村の上水道水源としても利用されており、鎌原集落のみならず浅間高原で暮らす人々の生活用水として広く活用されている。</p>

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Details 詳細情報について

  • CRID
    1390287525777153024
  • NII Article ID
    130008006552
  • DOI
    10.14866/ajg.2021s.0_103
  • Text Lang
    ja
  • Data Source
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • Abstract License Flag
    Disallowed

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