国家のリスケーリングをめぐる未解決の問題群

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  • コッカ ノ リスケーリング オ メグル ミカイケツ ノ モンダイグン

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抄録

<p>本稿はNeilBrenner, 2009, “Open Questions on State Rescaling," Cambridge Journal of Regions, Economies and Societies, 2(1): 123-139の全訳である。空間論や国家論の交点で都 市研究を理論的かっ経験的に展開するニール・ブレナー氏の近著のひとつであり、管見の限り氏の著作の初めての邦訳である。</p><p>まず著者の経歴を簡単に紹介しておこう。ブレナー氏はイエール大学で、哲学を修めたあとシカゴ大学で政治学の修士号を取得、さらにカリフオルニア大学ロスアンジェルス校に移って地理学の修士号を取得し、シカゴ大学で政治学の博士号を取得した。現在、ニュー ヨーク大学の社会学・大都市研究の教授を務める一方、International Journal of Urban and Regional Researchをはじめ多数の学術雑誌や研究叢書の編集委員を歴任している。</p><p>こうした経歴が示唆するように、氏は狭義の都市社会学のみならず、地理学とくに批判地理学や空間論に強い関心を寄せる一方、資本主義国家論や比較政治経済学にも通暁し、それらが交差するような一一氏がしばしば好んで用いる表現を使えば「超域的Jf異種混治的」な領域で旺盛な研究活動を展開している。ウェブサイトで公開されている研究履歴書では専門分野として批判的都市・地域研究、比較地理政治経済学、社会空間理論、とくに批判的都市理論、都市・地域リストラクチュアリング、資本主義的都市化の一般理論の構築、国家の空間的リストラクチュアリング、ネオリベラル化と「グローバル化」、都市ガパナンスのリストラクチュアリングが挙げられている。それはH・ルフェーブ、ル、D・ハーヴェイ、N.スミス、E・ソジャらの新都市社会学・空間論・批判地理学を基盤としながら、B・ジェソップらの国家論・レギュラシオン論・比較政治経済学の成果を積極的に採り入れつつ、グローバル化とネオリベラル化の時代の都市研究の批判理論の構築をめざすものといえる。</p><p>M.フーコーのポスト構造主義理論やルフェーブルの空間論の再評価から研究活動を出発させた氏は1990年代後半以降、戦後西欧諸国の都市政策を具体的な対象とする理論・経験研究を次々に発表し、そうした成果は、本稿でも言及されている主著New State Spaces (2004)に結実した。近年で、は世界都市論の主要論文選The Global Cities Reader (Roger Keil と共編、Routledge,2006)やルフェーフやル空間論・国家論の論文集成State, Space, World (Stuart Eldenらと共編・共訳、Universityof Minnesota Press, 2009)、国家論・空間論の論文選State/Space:A Reader (Bob Jessopらと共編、Blackwell,2002)の編集にもあたっている。</p><p>こうした氏の著作の中から本稿を翻訳するにいたった経緯を簡単に述べておこう。 2010~12年期の研究委員会は「リスケーリング下の国家と地域社会」をテーマに据えて活 動を開始した。「リスケーリング」はこの10年ほど批判地理学を中心に英語圏の都市研究などで広く使用される概念だが、「国家のリスケーリング」を合めてまだ地域社会学でなじみのある概念とはいえず、「リスケーリング下の国家と地域社会」を議論するにあたってこの研究領域の理論構成や主要概念を最低限共有することが必要だと考えた。そこでこの領域を主導するブレナー氏が自らの研究も含めて研究史の概観と総括を行い、今後の研究の方向性を論じた本稿を翻訳することで学会の共通インフラにしたいと考えた。 本稿を一読されれば明らかなように、主要概念やこれまでの研究動向・論点は明確かっ要領よく解説されているので、屋上屋を架すような解説は不要だろう。ただ、以下の諸点は翻訳を行ううえで留意したことであるので付言しておきたい。 まず「スケール」という用語について。スケールは地理学分野で、は従来、地図の縮尺を指す概念だったが、1990年代以降、「グローバル」「ナショナル」「ローカル」など空間範域の社会的な構築過程あるいは政治経済的な構造化を論じる概念として改作され定着してきた。 これまで「規模」と訳されたこともあるが、「サイズ」と混同されてはならず、本稿ではそのままカタカナで表記した。スケールの再編過程を指す「リスケーリング」についても同様である。</p><p>次に「国家」について。表題にもある「国家のリスケーリング、」は、原文ではstate rescalingである。日本語で「国家」というとき、ナショナルスケールのstate(国民国家、 国民的国家)が暗黙裡に想定されるが、本稿を合めてスケールに関心を寄せる研究では、 stateは「グローバル」「リージョナル」「ローカル」といった各スケールの形容詞が接頭され るスケールフリーな用語として使われる。だからstateに「国家」をあてるのは本来適切でない。しかしスケールフリーなstateに対応する日本語は見当たらず、やむをえず「国家」をあてた。</p><p>本稿の国家概念は、明示されているとおりB・ジェソッフの国家論を参照している。ジェソップ国家論はA・グラムシやN・プーランツァスの国家理解を前提としている。それゆえstateの訳語に、行政府のみを指す「政府」や国民=民族の一体性を裏書きする「国」をあてるのは適切ではない。したがってここでの国家概念はネオマルクス主義国家論からの文脈で捉えられなければならない。 本稿でたびたび強調されているように、「国家のリスケーリング」は、「資本蓄積のリスケーリング」や「争議政治のリスケーリング」など、さまざまなリスケーリング現象のひとつであり、リスケーリング一般と混同されてはならない。またナショナルスケールが圧倒的に優越してきた現代国家のスケール編成が、その権能の一部を上位スケールのリージョナルな国家(たとえばEU)に移譲したり、下位スケールのローカルな国家(地方自治体)に移譲したりして再編される現象を包括的に捉える概念である。そこでは実際に新たなスケールの組織が作られることもあれば、既存の枠組を利用しながら機能や影響力を布置しなおす場合もある。その意味で「国家のリスケーリング」は関係性に着目した概念であり、市町村合併や道州制のような現象に局限して狭く理解されてはならないし、本文で注意されているように、国家の領域的リストラクチュアリングと混同されでもならない。</p><p>本稿で述べられているとおり、「国家のリスケーリング」研究は緒に就いたばかりで、膨大な未解決の問題と広大な未開拓の領域を残している。現在の研究の最前線のひとつとして国際比較研究が挙げられているが、西欧を中心に進む既往研究に対して、日本あるいは北東アジアから発信しうる(あるいは反証を突きつけることができる)余地は小さくないと思われる。そうした研究に向けて本稿が一助になることを訳者たちは願っている。</p><p>最後に、翻訳の許諾のみならずオックスフォード大学出版局と版権に関する交渉の労を引き受けてくださったニール・ブレナー氏に深く感謝したい。</p>

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