書誌事項
- タイトル別名
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- Utilization of plant resources reconstructed from plant macrofossils during the latter half of the Jomon period at the Shimo-yakebe site, Tokyo
- トウキョウ シモヤケベ イセキ ノ オオガタ ショクブツ イタイ カラ ミタ ジョウモン ジダイ コウハンキ ノ ショクブツ シゲン リヨウ
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抄録
東京都東村山市下宅部遺跡出土の大型植物遺体の分類群と産出状況を解析し,縄文時代中期中葉から晩期中葉までの植物利用体系の復元を試みた。その結果,下宅部遺跡では中期中葉と中期後葉にオニグルミ核が集積するクルミ塚が見られ,河道の周辺が植物の加工・廃棄場として利用され始めた。クルミ塚では他にナラガシワ果実やクリ果実片も出土し,その利用が推定された。中期後葉のクルミ塚ではトチノキの種子片がまとまって出土し,トチノキの利用が加わったと考えられる。後期になると,トチノキの利用が顕著になり,河道内にはトチ塚が残されるとともに低地部には焼土跡がみられ,河道合流点を中心とした空間で,トチノキ種子の破砕,煮炊き,種子破片の廃棄が行われていたと考えられる。さらに河道部では水場遺構が構築され,編組製品も多数伴い,水場と植物の加工作業が密接に関連する様相が確認できた。また後期には,クヌギ節やアカガシ亜属のドングリ類の利用が加わり,より複合的な種実利用がみられた。晩期になると,再びナラガシワの出土が顕著になる。またクリ果実が晩期まで継続して利用されていた。遺跡の継続期間を通じて,堅果類だけでなくヒョウタンやアサなどの栽培植物や,ユリ科ネギ属などの鱗茎類,ニワトコやヤマグワなどの果実類が出土し,その利用が推定された。縄文時代後半期の下宅部遺跡では多種類の植物が複合的に利用されており,後期前葉以降に水場が主要な活動域となるとともに,植物利用がより重層的になったことが明らかとなった。こうした傾向は東日本の縄文時代後期前葉以降の水場における植物利用と共通していることが推定された。
収録刊行物
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- 植生史研究
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植生史研究 15 (1), 35-50, 2007
日本植生史学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390288448342660096
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- NII論文ID
- 130008052992
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- NII書誌ID
- AN10210142
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- ISSN
- 24359238
- 0915003X
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- NDL書誌ID
- 8915628
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
- NDL
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可