再話の中の女たち ―『夜窗鬼談』 から「鏡と鐘と」 Of A Mirror And A Bell へ

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  • サイワ ノ ナカ ノ オンナ タチ : 『 ヨル マド キダン 』 カラ 「 カガミ ト カネ ト 」 Of A Mirror And A Bell エ

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抄録

<p>  ラフカディオ・ハーンは1890年、40歳で来日し、1904年に亡くなるまで日本で過ごした。その間、英語教師として、エッセイストとして、新聞記者として、そして文学者として多くの業績を残した。彼の日本における著作といえば『知られぬ日本の面影』Glimpses of Unfamiliar Japan(1894)から始まり、『怪談』Kwaidan(1904)、『日本―一つの解明』Japan: An Attempt at Interpretation(1904)などがよく知られたところである。特に、日本の古い物語を題材として新たな物語を描き出す「再話活動」は他の外国人がなし得なかったものであり、日本語能力が決して高くはなかったハーンが「聞くこと」、すなわち妻の語りにより物語を構築していった独特な手法も含め現在でも注目されている。そして「耳なし芳一」、「雪女」など、原話を凌ぐ形で受容され続けている作品も少なくない 。  ハーンの残した再話作品は登場人物からストーリー展開まで様々である。そこからは、彼が幼い頃から抱いていた東洋世界への憧れ、幽霊を始めとする死後の世界や未知なる存在などへの強い関心などを読み取ることができる。そして、再話作品全体を見渡すと、女性が物語の中核をなす物語、いわゆる「女性もの」の作品が少なくないことに気づく。その背景には彼が自らを女性崇拝者 であるとし、アメリカ時代から女性についての文章を書き続けたこと、そして来日後も「女性」が一つの大きな関心であり続けたことがある。つまり、「女性」こそが彼の中で一貫したテーマであり続けたと言えるのである。ここで問題となるのはハーンが女性を以て何を描こうとしたのか、ということだ。この点について考えるためには、再話作品だけでなく、その原話にまで踏み込み比較することが必要である。本稿では、ハーンの残した多くの再話作品の中から「鏡と鐘と」Of A Mirror And A Bellを取り上げ、原話「祈ツテ金を得」(『夜窗鬼談』上巻)と比較しながら、構造的な違いと登場人物の描かれ方の異なりについて考察し、ハーンによって描きなおされた物語にどのような意図が含まれているのかを浮き彫りにする。</p>

収録刊行物

  • 日中言語文化

    日中言語文化 13 (0), 33-, 2020

    日中言語文化教育推進会

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