災害時におけるビジターコーディネート

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抄録

災害時には多くの外部からの支援者(ビジター)による手助けが重要となる。東日本大震災においてはその被害の大きさに比例して、これまでにない規模のビジターが被災地に駆けつけた。外部からの支援者の存在なしに復旧・復興を語ることはできない。しかし、その受け入れ体制を整理しておかなければ、現場は混乱し、復旧・復興を逆に遅らせることにもなりかねない。震災時におけるビジターコーディネート能力はわれわれが備えておくべき技術の必須アイテムといえる。 2004年7月の新潟・福島豪雨、2004年10月の中越地震、2007年の中越沖地震、その後もたび重なる大雪等、新潟県というエリアは常に震災・災害とともに歩んできた地域である。私自身、ときには被災者として、ときには支援者としてこれらの災害に関わってきた。特に2007年の中越沖地震の際は、被災地域が私の暮らす地域のすぐ近くということもあり、かなり深く関わらせていただいた。そこで見た風景は、ひたすらに支援を申し出る支援者の対応に追われる被災した福祉施設のスタッフの姿だった。その多くの申し出は被災地にとってはありがたいものであったが、「今はまだその時期ではない」「もうすでにその物資は必要ない」というものであってもすべてを引き受けようとする姿であった。災害時には「支援する者とされる者」の色分けが極めて明確になる。ただ、その中で必要なもの不必要なものは当然あるが「支援される者」である被災地の者はその好意をすべて引き受けなくては必要な支援が受けられない精神状態にある。そんな場面も多く目にしてきた。 東日本大震災においても同様の現象は起こった。それもこれまでの震災とは比較にならない規模で支援者が被災地を訪れることになった。これまで、いくつかの災害に支援に入っての印象は「支援に入る側は、被災地を支える側である一方、被災地にとってはこれまでその支援コミュニティに入り込むことのなかった部外者(ビジター)であり、それは立ち振る舞いを間違えるとたちまち被災地にとって負担となるという強い自覚を持つ必要がある」ということだった。 私自身は東日本大震災発生後から約3週間後から宮城県石巻市にある「ひたかみ園」に支援に入ることとなった。行った支援は今回のテーマにもなっている「ビジターコーディネート」である。「ひたかみ園」という知的障害者の施設入所支援事業所には多くの方が避難していた。障害のある方はもちろんのこと、障害のない方も多く受け入れを行っていた。そんな中で膨大な数のビジターが「ひたかみ園」を訪れ、またアクセスをしていた。当の「ひたかみ園」は「支援者は必要だがそのコーディネートをする余力はまったくない」といった状況だった。現地入りした私は、ビジタースタッフの受け入れにあたってのルールを設定した。そのルールとは以下の通りである。 ①支援の申し出は直接事業所に問い合わせをせずすべてコーディネーターを通すこと ②事業所の条件に合う方のみを受け入れること(一定期間以上活動できること、障害福祉関係の従事経験があるなど) ③事業所のやり方をむやみに批判したり指摘するような審判的態度を取らないこと ④自己完結で支援できること(食料や水、寝具、身の回りのものを自分で用意できること) こうしたリクエストは、支援を必要とする当事者からは実はなかなか出しづらいといった心理が働く。支援者の申し出は非常にありがたく、必要がない物資や支援であっても受け取ろうとするものである。そういう意味では、災害時における「ビジターコーディネーター」はできるかぎり外部の支援者に依頼すると言ったスタイルが必要になる。 今後も東日本大震災に匹敵する震災が起こらないという保障はどこにもない。この日本のどこかで大きな震災が起きたときに備え「ビジターコーディネーション」の重要性を共有していただけたら幸いである。

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