フランス第二帝政期ローヌ=アルプ地域における地方幹部候補行政官の登用論理
書誌事項
- タイトル別名
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- The logic for recruitment of the executive candidates for local officials in the Rhône-Alpes region during the Second Empire in France
- An analysis of petition for recruitment in the <i>conseillers de préfecture</i>
- 県参事会員登用時の請願書を手がかりに
説明
本稿では、アン県およびドローム県をケース・スタディーとして、近代フランスの行政制度が複雑化と拡大化を経験した、第二帝政期の地方幹部候補行政官である県参事会員の登用を分析し、専門職化の実態解明を試みた。 <br> まず、数値的分析から、第二帝政期県参事会員の性質変化をみてみると、年齢では時代が進むごとに若年化が進み、出身県ではあらゆる地方出身の若者が両県に赴任したことが明らかとなった。また、経歴面では、第二帝政期の県参事会員は短期間に多くの県と公職で職歴を積み、地方幹部候補行政官として養成されていったのである。 <br> 次に、叙述史料の分析から、以下のことが明らかとなった。第一に、請願書における候補者の属性に関する記述は、第二帝政期になると、前任者や父親からの公職継承は衰退することとなり、七月王政期に比べて属性的要素は減少したといえる。第二に、請願書における候補者本人の能力に関する記述は、七月王政期と第二帝政期ともに、性格に関する主観的な評価、教育からもたらされた行政知識に関する評価、そして公職の現場での経験に対する評価という三つの評価基準が中心に記述されていたが、第二帝政期の県参事会員の性質変化により、候補者本人の能力がより詳細に記述されるようになった。また、第二帝政期から、多くの県参事会員登用者が知事官房に関わる職を経験することにより、行政的能力を磨いていった。 <br> 最後に、C・シャルルは、支配的原理としての属性主義の原理がまだ優位であった1830年代から1880年代にかけて、能力主義の原理が徐々に浸透していったとし、その転換点は第三共和政期初頭であると指摘した。この見解を地方幹部候補行政官に当てはめてみると、第三共和政期初頭の転換の準備は第二帝政期に既に整えられていたのである。
収録刊行物
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- 史学雑誌
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史学雑誌 128 (4), 1-33, 2019
公益財団法人 史学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390289166419482112
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- NII論文ID
- 130008078676
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- ISSN
- 24242616
- 00182478
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可