植民地期朝鮮における創作版画の展開(6) : 朝鮮人美術家による日本の創作版画の修得とその展開について

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  • Development of the Sosaku Hanga (modern wood block prints) in Korea during the period of Japanese colonization - Part 6 : A detailed story of creative activities by Korean artists through interactions with Japanese
  • ショクミンチキ チョウセン ニ オケル ソウサク ハンガ ノ テンカイ(6)チョウセンジン ビジュツカ ニ ヨル ニホン ノ ソウサク ハンガ ノ シュウトク ト ソノ テンカイ ニ ツイテ

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抄録

本稿では,これまで詳述されることのなかった植民統治下(1910–1945)に,朝鮮人美術家が日本や朝鮮において日本人美術家との交流や指導を通して創作版画を始め,版画創作活動を展開したことを,現存する版画作品の実見,当時の新聞・雑誌等の公刊された史料の分析及び証言などに基づき3つの事例について明かした.1つ目の,朝鮮人として初めて創作版画集を刊行し,朝鮮において版画の個展を開催した京城(現・ソウル)の李秉玹と金貞桓は,同地の日本人美術家のネットワークとの関わりを経て創作版画を始め,さらに日本本土においても日本人出版家らとの出会いによって美術活動を展開していた.2つ目の平壌の崔榮林と崔志元らは同地に移住した版画家小野忠明から版画の指導を受け,また小野も彼らの側に立って版画創作を展開した.そして3つめの京城の李昞圭は,日本留学時に創作版画を知り,帰国後に母校養正高等普通学校の校友会雑誌『養正』の表紙絵に創作版画を寄せ続けた.しかし,独自の画境にそれを昇華させた崔榮林を除き,彼らはいずれも1940年前後から版画創作をしていない.それは,彼らがそこに彼らが知る日本や日本人ならではの風情を見たため,朝鮮人の美術家として同地においてそうした版画創作を続けることはできなかったと推察される.

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