人間、意味のなかで、意味とともに : 音・音楽・音の博物誌をめぐって

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タイトル別名
  • Human Becoming / Being and Meaning / Sens : Sounds and Music
  • ニンゲン イミ ノ ナカ デ イミ ト トモニ オト オンガク オト ノ ハクブツシ オ メグッテ

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抄録

社会的世界、風景的世界で人生を旅している人びとは、人生の日々、一日、一日によって意味づけられているのである。人間の五感によって、さまざまな野が体験されてきたのであり、人間の生活と生存の舞台と領域、いわば世界は、人びとそれぞれの多岐にわたる世界体験と生活史、記憶に根ざした意味世界として、人間的現実としてクローズアップされるのである。世界は、なによりも時間的空間的世界であり、人生の日々は、客観的時間、制度としての社会的時間によって意味づけられているが、人間の生存とアイデンティティは、体験された、意味づけられた時間、人間的時間、ミヒャエル・エンデがいう内的時間と深く結びついているのである。人間は、客観的時間と向き合いながらも人間的時間と意味世界を生きつづけているのである。人間は、自己自身のダイナミツクな多様な世界体験の渦流に巻きこまれながら、意味のなかで生きているのだが、人びととともに、社会的行為とさまざまなコンタクトにおいて日常生活を営んでいる人びとは、社会的世界で、相互的な意味世界をも体験しているのである。人びととの触れ合いとコミュニケーションを体験しながら、誰もが自己自身のソフトな意味世界を築きつづけているのであり、人びとそれぞれの個人的な意味世界は、閉じられているわけではない。時は過ぎゆく。TEMPUS FUGIT過ぎゆく時に意味がある。意味が内在しているのである。人間は、意味の耕作者であり、意味の担い手であるばかりか、ほとんどたえまなしに意味によって支えられており、意味によって方向づけられているのである。意味の理解と解釈、意味づけること、意味の附与--一日、一日を生きるということは、意味のなかで、意味とともにおこなわれている人間のプラクシス(行為・実践)であり、ポイエシス(制作・創造)なのである。人びととの触れ合い、さまざまな対象やものとの触れ合い、触れ合うことこそ意味の源泉なのである。ヴィジュアルな風景があるだけではない。音風景があり、聴覚の野がある。人間の耳に注目したい。日常生活と人びとそれぞれの人生の旅路においては、音や音楽によって人びとにもたらされている恩恵は、はかり知れないほど大きい。世界の動きと様相は、音環境や音の宇宙、音の博物誌においても理解されるのである。ふたつのトライアングルを描きながら、音と聴覚の野へのアプローチを試みることができる。ひとつは、フランス語、サンスsensのトライアングルであり、感覚と意味と方向によってかたちづくられるものだ。もうひとつは、オクタビオ・パスをふまえて描かれるリズムと意味と方向のトライアングルである。音は意味の苗床であり、音楽は、まことに深遠な意味世界なのである。人間と文化、人間と社会、こうしたモチーフにおいて中心的にクローズアツプされてくるのは、人びとそれぞれの日常生活と人生である。また、人びとがそこで人生の日々を生きつづけている日常的世界だ。生活と生存-このふたつの言葉のいずれにも注目しながら、音と音楽、音の宇宙、生活環境、日常生活へのアプローチを試みたいと思う。自己自身は人びとのなかで、世界において、道具や作品とともに、風景のまっただなかで、さまざまな音体験や音楽体験においても理解されるのである。理性、知性というパースペクティヴにおいてだけではなく、感覚、感性というパースペクティヴにおいても人間へのアプローチが試みられなければならない。感性と想像力は、まちがいなく人間のアイデンティティ、人間の条件となっているのである。さまざまなアートに注目したいが、音と音楽は、人間の生成と存在において、人間の生活と生存において、人生の日々において不可欠な支えとよりどころとなっているのである。人間の救い手や命綱、人間の希望となるような音がある。人間の聲と自然のさまざまな音は、音の原風景なのである。人生の旅びとは、たえまなしに光明と希望を、支えとよりどころを求めつづけている。サン=テグジュペリの言葉、《人生に意味を》un sens a la vieという言葉を胸に抱きながら、人生の旅びとは、前進しなければならない。私たちにとっては人間的時間、意味の宝石こそ大切な支えではないかと思う。

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identifier:KJ00005433084

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