Leon de Rosny et le «Bouddhisme eclectique»:un projet de syncretisme spirituel dans la France de la fin du XIX^e siecle

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Other Title
  • レオン・ド・ロニート「セッチュウブッキョウ」-19セイキマツフランスニオケルショシュウキョウシソウノセッチュウノココロミ
  • レオン・ド・ロニーと「折衷仏教」-19世紀末フランスにおける諸宗教思想の折衷の試み

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type:P(論文)

本稿は、フランスにおける初めての日本学者として知られる東洋学者レオン・ド・ロニー(Leon de Rosny,1837-1914)の活動の一側面を研究対象とする。日仏交流が本格的に発展した1860年代末、ロニーは31歳にしてフランスの大学で初めて開設された日本語講座の初代教授となり、それから20年の間、フランスにおける日本語教育および日本学の先駆者という重要な役割を果たした。しかし、彼は1880年代末より日本学から宗教文化へ関心を移し、様々な催し物を通して、仏教や仏教をベースに自らが築き上げた哲学体系を一般の人々に紹介しようとした。この目的を果たすため、1892年に「折衷仏教学派」という組織を立ち上げ、1894年にはその組織の金科玉条となるべき著書『折衷仏教』(Le Bouddhisme eclectique)をも発表している。今回は、先行研究において既に十分論じられた日本学者としてのロニーの活動ではなく、彼が晩年に提案したこの「折衷仏教」という哲学体系に焦点を当てる。とりわけ、フランス人の東洋学者が学術研究の領域を離れ、新しい哲学体系樹立の試みへと至った過程そのものについて考慮したい。本稿を二部に分け、第一部では、まずロニーの生涯とその活躍を紹介し、その活動における1880年代末の「方向転換」と『折衷仏教』出版までの経緯を取り上げる。続いて『折衷仏教』の内容に焦点を当て、その哲学体系の最も注目すべき点をピックアップして紹介する。第二部では、ロニーのキャリアの前半(1850年代と1860年代)に戻り、彼がどのような時期に東洋の宗教に関心を抱くようになったのかを検討していく。そして「折衷仏教」の極めて重要な部分である「折衷」(eclectisme)という概念は、ロニーの文章や著作において、どのような時期に、どのような形で表れてきたのかを考察する。ロニーの活動における宗教文化への「方向転換」の過程と彼が提案した「折衷仏教」を考察するにあたって、彼の活動そのものに限らず、19世紀のフランスにおける東洋と仏教のイメージという歴史的・文化的背景も視野に入れる。

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