浄土真宗の「妻帯の宗風」はいかに確立したか : 江戸期における僧侶の妻帯に対する厳罰化と親鸞伝の言説をめぐって

書誌事項

タイトル別名
  • The Establishment of Jōdo Shin Buddhist Practice on Marriage : Edo Period Punishment of Clerical Marriage and Biographical Accounts
  • ジョウド シンシュウ ノ 「 サイタイ ノ シュウフウ 」 ワ イカニ カクリツ シタ カ : エドキ ニ オケル ソウリョ ノ サイタイ ニ タイスル ゲンバツカ ト シンランデン ノ ゲンセツ オ メグッテ

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抄録

浄土真宗の宗祖親鸞はこれまで、「妻帯した」とされてきた。

ところが現在確認できる親鸞の言葉のうちで、親鸞自身が「妻帯」を宣言したものや、「妻」について語ったものはない。また、親鸞の生涯を記した「親鸞伝絵」や、『御伝鈔』においても、親鸞が「妻帯した」というエピソードはない。親鸞の「妻帯」が明確に記述されているのは、特に江戸期に刊行または作成された親鸞伝においてである。

江戸期は幕府によって僧侶の女犯や妻帯が厳罰化された時期であるが、一方では浄土真宗が「宗風」を理由に妻帯を許可されていた時期でもる。本稿は、江戸期に刊行・作成された親鸞伝の記述を分析し、浄土真宗において「妻帯の宗風」がいかに確立したかを考察した。具体的に注目した記述は、親鸞「妻帯」の描写、「妻帯」の理由、「妻帯」に対する親鸞の反応、そして「妻帯の宗風」に関する記述である。

江戸期以前に親鸞の「妻帯」を記した親鸞伝は写本が少ないのにもかかわらず、そこに書かれた親鸞の「妻帯」は、江戸期の親鸞伝において定着する。またその「妻帯」は、単なる破戒行為とは異なるものとして正当化され、「妻帯」の責任は親鸞に起因させない形で記述されていく。さらには親鸞の「妻帯」が「妻帯の宗風」の起源として記述され、他宗とは異なる「宗風」の独自性が強調されていく。

たとえ宗祖である親鸞が「妻帯」したとしても、それ自体は浄土真宗の「妻帯の宗風」には直結しないはずである。しかし親鸞伝では宗祖親鸞の「妻帯」が次第に、浄土真宗における「妻帯の宗風」の起源として語られていく。江戸期の親鸞伝における「妻帯した親鸞」像の定着と、「妻帯の宗風」の起源に関するエピソードの完成は、浄土真宗の「妻帯の宗風」の確立を考える上で一つの重要な動きであると考えられる。

収録刊行物

  • 日本研究

    日本研究 49 27-56, 2014-03-31

    国際日本文化研究センター

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