伊予大洲藩主の狩、御鷹野場と生業

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  • 東 昇
    京都府立大学文学部 : 准教授

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タイトル別名
  • Hunting of the Ozu Feudal Lord, Otakanoba, and Livelihood
  • イヨ オオス ハンシュ ノ カリ 、 ゴ タカノジョウ ト ナリワイ

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抄録

大洲藩主の狩は、17世紀後期、2代藩主加藤泰輿の代には、城下近隣の御鷹野で小規模な狩が行われ、藩主と藩士・領民が出会い交流する場であった。18世紀には、狩をしない藩主も登場するが、軍事演習、獣害対策、武の象徴としての狩と変化し、領民の見物の対象、まだ怪異と遭遇する場でもあった。18世紀末の10代藩主加藤泰済の代に、柳瀬山における御代始の狩に約4000人の大規模動員が行われる一方で、老人・奇特者の褒賞、難渋者の御救が実施された。この狩を支える漑匠は、下級藩士の世襲、巧者などを養子とし、屋敷に鳥を飼う設備を整えていた。また狩の場は、御鷹野場など鉄砲停止場として、鳥見方や鳥目付が監視し鳥獣を保護した。一方で、獣害対策として踏出、威筒願が各村から出され、領民の生業とせめぎあっていた。

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