長門萩毛利家における隼献上の位置 : 幕藩関係における「内献上」の構造化

  • 越坂 裕太
    九州大学大学院人文科学府博士後期課程(日本学術振興会特別研究員DCl)

書誌事項

タイトル別名
  • The Presentation of Falcons from the Mohri Clan: Uchi-Kenjyo Structuration Considering the Relationship Between the Shogunate and Feudal Lords
  • ナガト ハギ モウリカ ニ オケル ハヤブサ ケンジョウ ノ イチ : マクハン カンケイ ニ オケル 「 ナイ ケンジョウ 」 ノ コウゾウカ

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説明

長門萩毛利家が徳川将軍に対して実施した隼献上の位置について、近世献上構造における不時の献上および「内献上」としての手続きに着目して論じた。毛利秀就は3代将軍家光に対し、寛永から慶安期にかけて毎年隼を献上したが、後代に引き継がれず、以後は不時の献上品となった。享保期に8代将軍吉宗が鷹狩を再興すると、毛利吉元は献上再開を試みたが、将軍の「御好」等の理由により、1度きりの実施にとどまった。その後、毛利重就・治親父子は、宝暦期、天明・寛政期に、田沼意次を通じた「内献上」の手続きを活用することで献上を達成した。以上の検討を通じ、享保七年令により年中献上が固定化したことで、不時の献上が将軍との情誼的関係を深める手段として重視され、「内献上」の構造化をもたらした歴史的経緯を明らかにする。また、大鷹重視の近世日本鷹狩文化における隼の位相についても言及した。

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