これからの「英語科教育」のあり方に関する一考察

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  • Study on the Way of "English Education" in the Future

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抄録

本稿は,英語教育に関わる問題を見つめる視座を固めてみたいという動機から,英語科教育の授業のあり方を教育哲学の立場から考察することを目的としたものである。 まず,近年のわが国においては,「個性化」教育というスローガンの下で,実際の学習指導が横並びになっている。そこでは,子どもたちの学習成果を学業成績の平均値と標準偏差で判定されている。それ故,子どもたちは判定される学業成績を美化し,その価値観だけで物事の良し悪しを判断する状況へと陥っている。こうした状況は,弱者と強者を明確化してしまう危険性を含んでおり,子ども同士の「学びの関わり」を崩壊させている。 上記のような「支配-被支配」「差別-被差別」の構図は,子どもの身体を呪縛し,彼らの集団を分断させる危険性が高いものと考えられる。「いじめ」「不登校」「校内暴力」「非行」といった現象は,この構図が顕在化した結果であろう。 一般に,英語科の授業では教師側が文法や読解力を問うて,それを子どもたちが回答していく系統的・段階的指導スタイルによって進展していく。それ故,「正解-不正解」「出来る-出来ない」が存在しており,強者と弱者が明確化する傾向にある。 一方で,英語科教育の中心で重視したいものは会話である。会話は,仲間と共に営まれるのが常であり,本来,会話には文脈や時系列が関係するため,明確な正解は存在しにくいものである。こうした学びを担保していくためには,仲間との相互作用(集団過程)の果たす役割がきわめて大きくなる。 以上のことから,英語科の授業においては「個人の自立」のみならず,「社会連帯性」をも形成する方法原理を究明しなければならない。そのためには,こうした立場から仲間との相互作用によって営まれる「会話」を基盤とした英語科教育に当たる教師が求められている。

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