摂津源氏の東国進出 ― 下総国を中心として ―

書誌事項

タイトル別名
  • Settsugenji’s Advancement to Eastern Part of Japan:Focusing on Shimousa Province

抄録

本論は十一世紀から十二世紀にかけて東国を舞台に発生した兵乱を中心に、河内源氏・大和源氏・摂津源氏の源氏諸流の東国進出の動きを概観したうえで、摂津源氏である源頼綱・仲正父子が国守に任じられた下総国における摂津源氏と現地勢力である下河辺・千葉氏との関係を明らかにすることで、摂津源氏の東国進出における下総国の様相について考察した。  前九年合戦以後の源氏諸流(河内源氏・大和源氏・摂津源氏)の東国進出の動きのなかで、摂津源氏の動向が注目されることはあまりなかったが、元永元年の下総守源仲正による常陸国侵攻は、摂津源氏による東国進出の契機となる事件と位置付けることが出来るとの結論に達した。  また、摂津源氏が下総国に進出する際、摂津源氏に登用されたとみられる下河辺・千葉氏は、その本拠地である下河辺荘・千葉荘・相馬御厨を開発・維持するうえで、摂津源氏の働きかけがあったことも明らかにした。  源仲正の下総・下野国を中心とした東国進出は、ある一定の成果を挙げたと考えられ、特に下総国での摂津源氏の勢力および摂津源氏と下河辺・千葉氏の関係は、頼政の挙兵時まで継続していることが確認できた。  しかしながら、頼政の挙兵失敗により摂津源氏が失脚すると、下河辺・千葉氏共に次の後ろ盾を求めて行動を起こし、下河辺・千葉氏共に河内源氏である源頼朝の許へ参陣することとなるのである。

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