<研究ノート>明治期の横浜市における教育環境の地域的差異 : 1908年の「学区」制度の廃止前後を中心として

書誌事項

タイトル別名
  • メイジキ ノ ヨコハマシ ニ オケル キョウイク カンキョウ ノ チイキテキ サイ : 1908ネン ノ 「 ガック 」 セイド ノ ハイシ ゼンゴ オ チュウシン ト シテ
  • <Research Notes> Regional Difference of Educational Environment at Yokohama City in the Meiji era: Focus on before and after 1908 when “school districts” system were abolished

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抄録

type:Article

本研究では,明治期の横浜市において教育環境に地域的差異が存在していたこと,さらに1908(明治41)年前後の統計を比較することで,その地域的差異が縮まった実態を明らかにする. 当時の横浜市では,地元住民や商人などが資金を出した学校運営の主体である「学区」が小学校を運営しており,「学区」の資力の多少に応じて学校間に差,つまり教育環境の地域的差異があった.また,児童数の急速な増加に起因する教育予算の財源不足や学校施設の不足,さらに高等科への進学者の増加や義務教育年限の延長への対応,そして全国平均を下回る就学率の向上という教育政策上の課題があった.それらの課題を解決するため1908 年に「学区」が廃止され,小学校は横浜市による運営となった. 本研究では横浜市の統計から,「学区」廃止前後の児童1 人あたりの経費,児童1 人あたりの建物面積,学区別就学率を比較し,教育環境の地域的差異の存在とその縮小の実態を明らかにした.

収録刊行物

  • 法政地理

    法政地理 49 51-66, 2017-03-17

    法政大学地理学会

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