独占形成期ドイツの化学工業と認可闘争 : 1880年代半ばの2つの事例研究

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タイトル別名
  • Chemical Industry and Concession Conflicts in Germany at the first Stage of Monopolistic Era. Case study on two companies in Barmen during the 1880s.
  • 独占形成期ドイツの化学工業と認可闘争 : 1880年代半ばの2つの事例
  • ドクセン ケイセイキ ドイツ ノ カガク コウギョウ ト ニンカ トウソウ : 1880ネンダイ ナカバ ノ 2ツ ノ ジレイ

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抄録

ドイツ学界において環境史研究の第二世代のリーダーの一人, F. ウェケッターは『ドイツ史百科事典』の1巻として2007年に『19-20世紀環境史』を上梓した(Uekötter, 2007)。その中で彼は, 20世紀を「環境の世紀」と捉える米国の環境史家J.R.マクニールの所説を継承しつつ, 19世紀を「環境史上の『アンシャン・レジーム』から近代への過渡期」と位置づける見解を提示した(op. cit., p.14: McNell, 2000)。農業社会から産業社会への緩やかな以降, 薪炭から化石燃料への転換, および自然保全に向けたささやかながら確実な前進, の3点に注目してのことであった(Uekötter, 2007, pp.6-7)。この見解自体, 1995年W.ジーマンが19世紀を二重革命を鍵概念で捉えるに飽きたらず, 疑問符つきながら「エコ革命」を加えて再解釈していたことを想起するとき, けっして奇をてらった新解釈とは片づけられない(Siemann, 1995 : 田北, 2004b)。ウェケッターの斬新さは, むしろ, 「長期の19世紀」(Kock, 2004)を2時期に区分し, 第2帝政期を積極的に「環境史の分水嶺」(Uekötter, 2007, p.14)と位置づけた点にある。石炭を基軸にした産業社会的なエネルギーシステムへの移行, 環境媒体の汚染の拡大・深刻化, それと関連して大都市を主要な舞台とした環境政策の展開, 郷土・自然保全運動の拡大と政府の対応が, その指標に挙げられている(op. cit., pp.14-23)。とはいえ, この所説も重厚な研究成果に立脚していることを, 忘れてはならない。代表例を挙げれば, ドイツ環境史研究の開拓者の一人に数え上げられるF. J.ブリュッゲマイアーは, 環境闘争の頻度・強度の点で「第2帝政期」を1970年代以降の「エコ時代」に匹敵することを確認している(Brüggemeier/Toyka-Seid, 1995, p.17 : Brüggemeier, 1998 pp.116-120 : 田北, 2011)。本論も第2帝政期を「分水嶺」に据える点で, それら代表的な環境史家と共通している。しかし, 第2帝政期を一つの節目と理解するのは, ドイツ環境史における時代区分を意識してのことだけではない。筆者の対象とする化学工業における認可闘争においても, 一大画期をなしていると見なせるからである。第1次世界大戦前ラインラントにおける化学工業を舞台にした認可闘争を網羅的に調査したR.ヘンネキンクの所説が, その点を示唆している。すなわち, 企業家による認可申請を契機に発生した住民の異議申し立てと抗告審への提訴との比率は, 1870/80年代を境にして大きく低下しており, 認可審査に根本的な変化があったことを窺わせている(Henneking, 1994, pp390, 404の表1,7を参照せよ)。ただ, ヘンネキンクは, 別の機会に指摘したように, 認可制度の変化とケーススタディを切り離して考察しているため, そして産業部門別(基礎, 染料, 肥料)に事例研究を行ったために, その問題に気づいてもいない(田北,2011a, p.46)。工場の立地する自治体当局を含め, 営業認可をめぐる利害関係者相互の関係を, 認可制度の変化と併せて考察するのも, ヘンネキンクの採用する接近方法への反省を踏まえてのことである。したがって, 問題への近接方法の点で本論は, 「政策主体アプローチ」を踏襲している(田北, 2010)。また, 営業認可制度の性格規定に関して「住民保護」か「産業保護」かをめぐって闘わされている論争を念頭に置いていることを再確認しておきたい(Mieck, 1967, p.69 : Brüggemeier, 1996, pp.139-132 : Henneking, 1994, p.79)。その際, 第2帝政期に深刻の度を深めてくる環境汚染への取り組みの特徴としてウェケッターが挙げた「科学技術主義」が, 住民の証言に代表される現地状況を排除しつつ認可の審査過程に漸次浸透してくることを, 一つの目安にしていることを付言しておく。最後に, 本論の論述手順に簡単に触れておこう。I では化学工業をめぐる認可制度において1880年代が占める位置について考察して, 本題の課題を明らかにする。それに続くIIでは, 都市バルメンに本拠を構える2つの化学会社(ヘルベルツとダール)のプロフィルを紹介するとともに, 1880年代の認可闘争に関連した伝来資料を概観する。IIIでは, ヘルベルツ会社とダーツ会社をめぐる認可闘争の特質との比較を意識しながら, 検討結果の総括を行う。

収録刊行物

  • 經濟學研究

    經濟學研究 78 (4), 41-80, 2011-12-26

    九州大学経済学会

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