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- 梶丸 岳
- 京都大学大学院人間・環境学研究科
書誌事項
- タイトル別名
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- How to Sense Antiphonal Singing to appreciate it?: the Mountain Song of Buyi as a pre-tourisicized art
- ウタガケ オ ミル キク ゼン カンコウテキ ゲイノウ ト シテ ノ チュウゴクキシュウショウサンカ
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抄録
人類学や社会学において,観光を論じるに当たって視覚は特権的な知覚とされてきた。この「視覚中心主義」には,他者の客体化や非人間化として捉える見方と,観光における視覚の中心性として捉える見方がある。ただどちらの見方にせよ,視覚中心主義を,ともに同じ時間・場所にありながら,あくまでも「自分ではない」という否定を含みながら対象を認識すること,そしてこの価値観が西洋特異的であることを描き出していることに違いはない。そして,両者とも視覚の身体的位置づけを軽現しているという問題をはらんでいる。中国貴州省の,主にプイ族によって歌われる山歌は歌掛けの一種である。この芸能は聴衆に対するアピールのほとんどを口頭による言語表現という聴覚による抽象的記号過程に頼っている。そのため,歌の聞き取れない若者が興味を持たず,衰退しつつあることは否めない。だが近年になって,山歌のVCDに字幕を入れることや,見た目(視覚的刺激)を意識した演出が見られるようになってきた。この聴覚から視覚への動きは,山歌の価値観の揺らぎを表している。山歌は聴覚を介する記号過程から,視覚を介する記号過程へ,また視覚を通じた,身体により直接的に訴えかける方向へと変化しつつあるのだ。こうした変化は、これまでの視覚中心主義に関する言説とは違う,視覚の身体的位置づけについて教えてくれる。視覚は他者の客体化などの要因となるだけではなく,ある種の身体的快楽にも通じているのだ。山歌は現在のところまだほとんど観光化されてはいない。しかし上述の変化が今後観光に結びつく可能性はある。またこの変化の一方で,聴覚を通じた身体的快楽に結びつく動きはなく,歌のスタイルは聴覚的側面においてまったく変化していない。こうした変化しない部分を見極めることで,芸能・文化を成り立たせている芯のようなものが分かるのではないだろうか。今後も観光化を含めた文化環境の変化の中でどのように山歌が変化していくのか注目していく必要がある。
収録刊行物
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- 人文學報
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人文學報 99 61-77, 2010-12
京都大學人文科學研究所
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390290699820494976
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- NII論文ID
- 120002694080
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- NII書誌ID
- AN00122934
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- DOI
- 10.14989/134542
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- HANDLE
- 2433/134542
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- NDL書誌ID
- 10938226
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- ISSN
- 04490274
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
- IRDB
- NDL
- CiNii Articles
- KAKEN
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用可