<論説>飛鳥浄御原律令に関する諸問題

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>Problems on the Law of Aska-Kiyomihara 飛鳥浄豊原律令
  • 飛鳥浄御原律令に関する諸問題
  • アスカジョウゴ ゲン リツリョウ ニ カンスル ショ モンダイ

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説明

一九五〇年代後半、活発に議論が交わされながら、その後研究の途絶状態にある浄御原律令の編纂施行の問題について、法の継受という新しい視点を入れながら、法規史の立場に限定して考察を行なう。律令体制成立過程の総合的な再検討の礎としての意味をもつ。筆者が復原した浄御原令公等の継受のあり方を考えると、日本は壬申乱の終了後、遣新羅使を通して、新羅の律令体制の実施の様子を参酌しながら、唐永徽令の規定を個別的に継受してきたが、浄御原令編纂に際し、永徽律令の体系的な継受を最終的に行なったと考えられる。この編纂制定の直接的契機となったのは、七世紀後半の緊迫した東アジア情勢の下で、武烈王代律令体制をとり支配秩序を確立すると共に、唐軍を半島より駆逐して半島全域を代表して唐帝国の冊封体制に参加する新羅の動きであろう。その様な新羅との唐帝国に於ける国際的地位をめぐる競争に打ち勝つ為に、国家体制の急整備をはかる必要から、従来の個別的律令規定に基く支配秩序の上に、唐制を直訳的に継受した規定をも含む体系的な法典として、浄御原令を施行したと考えられる。その他、右の視角の下で新たに浄御原律令の編纂過程を見直し、また律令制研究の現段階で浄御原律存否問題を新たに位置づけし直す必要があろうと問題提起を行ない、更に律令体制成立過程に於ける浄御原律令と大宝律令の果たした役割の差異についても論及した。

収録刊行物

  • 史林

    史林 53 (1), 1-31, 1970-01-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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