<ノート>1804年の「植民地憲章」について : オランダ東インド会社崩壊後の植民政策

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タイトル別名
  • <Note>The "Charter of 1804" : The colonial policy after the fall of the Dutch East India Company
  • 1804年の「植民地憲章」について--オランダ東インド会社崩壊後の植民政策
  • 1804ネン ノ ショクミンチ ケンショウ ニ ツイテ オランダ ヒガシインド ガイシャ ホウカイ ゴ ノ ショクミン セイサク

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説明

オランダ東インド会社崩壊後、東インドの統治に関して相反する二つの政治方向があった。一つは旧会社のとってきた現地土侯を媒介とする「間接支配」を継承しようとする方向である。旧会社はジャワの土侯達をしたがえる上級封建領主であった。土侯は会社に対して強制出荷義務と賦役義務を負った。会社はこの制度の上に立って商業を経営していたのである。これに対して土侯を廃してジャワ農民に土地所有権を与えてこれから地代を徴集しようとする「直接支配」の方向がD・ファン・ホーヘンドルプによって提唱された。これは小農的資本主義への方向である。彼は現地農民とオランダ国家権力とを地代を通じて直結させようとしたのである。両者は一八〇四年の新「植民地憲章」作成の過程において相対立したが、結局、同憲章では「間接支配」の方向をとることが決定された。植民地に与えるべき商品をもたないオランダの国力では土侯を廃して小農的生産体制をとることは許されなかった。すなわちイギリスのベンガルにおける地代方式はジャワに政治的混乱をひきおこすものとして拒否された。しかし「直接支配」方式はその後のオランダの植民地経営における有力な意見となる。

収録刊行物

  • 史林

    史林 54 (4), 594-607, 1971-07-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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