<論説>「六町」の成立と展開

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タイトル別名
  • <Articles>The Formation and Evolution of Rokucho 六町
  • 「六町」の成立と展開
  • ロクチョウ ノ セイリツ ト テンカイ

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抄録

「六町」(「六丁町」) については、戦前ではその勤皇事蹟によって、戦後では没落貴族と新興町衆の文化的交流の舞台として、人口に膾炙した町組であるにもかかわらず、基礎的事実でさえ十分に考究されているとは言い難い。本稿では、町組が地縁的生活組織であったことを根底に据え、町組の成立要件と、町組が外界と結ぶ社会関係の発展段階とを史実に即して明らかにすることにより、「六町」の成立と展開を考察する。禁裏近辺の町々が互いに協働して「六町」を結成したのは、天文初年に禁裏から要請された人夫役に応じることによって種々の免除特権を獲得しようとしたからであったと考えられる。当初片務的であった「六町」と禁裏の関係は、天文三年の洛中総堀普請に際して「六町」にも賦課された幕府人夫役の適用除外に成功したことを契機として相互扶助的となり、さらに信長の入京頃を画期としてより緊密に協力しあい、「禁裏様六町」と通称される段階に到達した。かくして、禁裏は「六町」から人失役を調達することによってその安全確保の一助とし、一方「六町」は禁裏から寄宿・一切諸役・徳政などの免除特権を獲得し、部分的にせよ権力の都市支配から脱しえた洛中唯一の町組となったのである。その後、天正十九年閏正月、秀吉が大名居館建設のために断行した屋敷替えによって「六町」は瓦解をよぎなくされたが、しかしその法人としての名称・機能・伝統は他の町組――新たに結成された新在家六丁町――に継承されて後代の禁裏六町組の母胎となった。

収録刊行物

  • 史林

    史林 61 (5), 672-702, 1978-09-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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