<論説>元代画壇の復古運動と文人画家

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タイトル別名
  • <Article>The Painters and Their Revival Movement in the Painting Circles of the Yuan Era 元代
  • 元代画壇の復古運動と文人画家
  • ゲンダイ ガダン ノ フッコ ウンドウ ト ブンジン ガカ

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抄録

元代は中国絵画史上重要な転換期として位置づけられる時代である。北宋末の宣和1119〜1125以来約百年間、中国画壇の主流をなしてきた院体画は、南宋中期の十三世紀はじめから伝統的技巧主義一形式的写実主義一の弊におちいり、さらに元代になって、これまで院体画を保護・育成してきた画院が廃止されると急に衰微してきた。この院体画に対し、野に在って唐・五代・北宋初の主観的自然主義の画法をめざす文人画(士大夫画) は、十三世紀後半の南宋末ごろからしだいに一般知識人の好みに投じるようになった。この風潮をさらに助長したのは、元朝の漢文化軽視の態度であった。このため漢人の知識人たちは官界進出への望みを失い、その慾求不満のはけ口を文学や芸術の世界に求めた。こうして絵画の世界でも文人画派がますます勢をえてきたが、やがてそれは元代の画壇における復古主義を標榜する革新運動となった。この復古・革新の運動を提唱した先覚者として位置づけられるのが銭選(舜挙) ・趙孟頫(子昻) ・高克恭(房山) らの文人画家であった。そしてその後を承けて元末に江南から黄公望・呉鎮・倪瓚・王蒙ら四人の傑れた画人が輩出すると、ついに文人画を大成した。こうして、この四画人を中核に確立された水墨画の主意的自然主義様式と文人士夫画精神とは、その後の明朝から清朝末まで、いや現在までの六百余年間にわたって文人画を中国絵画の本流たらしめたのである。このいみで元宋四画人の中国画壇に占める地位は、すぐれて大きいものがあるといえよう。

収録刊行物

  • 史林

    史林 64 (5), 686-713, 1981-09-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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