<紹介>清代湖広の水稲作と棉業

  • 山本 進
    名古屋大学大学院文学研究科博士後期課程

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>The Rice Crop and the Cotton Industry in the Huguang 湖広 Provinces in the Qing Dynasty
  • 清代湖広の水稲作と棉業
  • シンダイコ コウ ノ スイトウサク ト ワタギョウ

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説明

「湖広熟すれば天下足る」の諺が示すように、清代の湖面地方は、長江下流へ湖広米を供給する天下の穀倉として知られていた。しかし湖広の米穀生産力は、長江下流と比較すればかなりの低水準にあった。湖南の大部分の地域は、有機質に乏しい強酸性土壌に覆われ、農作物の栽培に適さなかった。一方、洞庭湖周辺から湖北に亘る低平地には、肥沃ではあるが排水困難な湿田が広がっており、田植えや除草を必要としない、高地より更に不安定で粗放な水稲作が展開していた。農業経営の安定化は、湖南では河谷平地の酸土改良に、湖北では高地の田での棉作・棉紡織業に求められた。湖北の棉業は、農村家内副業であったが、余剰棉布を湖南・四川など棉業が盛んでない内陸諸省へ移出していた。清代の湖広は、総体的には米穀供給地として位置付けられるが、内部ではローカルな地域間分業が開始されていたと言える。

収録刊行物

  • 史林

    史林 70 (6), 845-876, 1987-11-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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