<論説>十八世紀フランスのコレージュ改革とパリ高等法院

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タイトル別名
  • <Articles>Les reformes des colleges au XVIII^e siecle et le Parlement de Paris
  • 18世紀フランスのコレージュ改革とパリ高等法院
  • 18セイキ フランス ノ コレージュ カイカク ト パリ コウトウホウイン

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説明

アソシャン=レジーム下の中等教育機関であったコレージュは、その大部分がイエズス会などの修道会によって運営されていたが、そこでの教育は何よりも宗教上の目的に従って組織されていた。パリ高等法院は一七六一年にイエズス会を解散させて、自らコレージュの再建に乗り出す。その中心人物となったロラン=デルスヴィルが構想したのは、修道会に代わって国家が教育を担うこと、画一的な「国民教育」を実現すること、そして教育の力によってアンシャン=レジーム社会自体の変革をもめざすということであった。イエズス会退去後のコレージュには「運営理事会」が設置されたが、コレージュ教育の画一化に向けて講じられたこの措置は、かえってコレージュの多様化をもたらす結果となり、聖職者たちの反対をも引き起こした。改革はただちに大きな成果をあげることはなかったが、宗教に付随してきた従来の教育のあり方を変えるべく着手された初めての試みとなった。

収録刊行物

  • 史林

    史林 72 (3), 402-434, 1989-05-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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