<論説>ジャー・ラマとコブド問題 : モンゴル人民共和国形成期における民族間題の一考察

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>The Jaa Lama and the Khovd problem : The national problem in the period of the formation of the Mongolian People's Republic
  • ジャー・ラマとコブド問題--モンゴル人民共和国形成期における民族問題の一考察
  • ジャー ラマ ト コブド モンダイ モンゴル ジンミン キョウワコク ケイセイ
公開日
1989-05-01
資源種別
journal article
DOI
  • 10.14989/shirin_72_435
公開者
史学研究会 (京都大学文学部内)

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説明

本稿では、西部モンゴル人の反清独立闘争のシンボル「アムルサナーの化身」として出現したカルムイク・モンゴル人ジャー・ラマの行動を通して、モンゴル人民共和国形成期の民族問題を考察する。彼は一九一二年にコブド解放戦の先頭に立ったが、現在彼の功績は全く評価されていない。性急なロシア式改革で住民の支持を失い、強烈な独立志向ゆえに一九一四年にロシア当局に逮捕された彼は、ロシア革命で出獄して一九一八年夏モンゴルに現われ、民衆に再び歓迎されたが、ボグド政府には対抗勢力とみなされた。彼が「封建・君主主義的民族主義」者としてよりもむしろ、東部モンゴル人主導に対する反政府勢力として人民政府によって排除されたことは、彼と対照的に、両政府の要人であり続けたマクサルジャブの運命が暗示している。一九二二年末のジャー・ラマ排除によってコブド地区はハルハに統合されたが、複雑な民族関係に由来するコブド問題は未解決のまま残されることになったのである。

収録刊行物

  • 史林

    史林 72 (3), 435-473, 1989-05-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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