<論説>縦目仮面、「燭龍」と「祝融」 : 三星堆文明における青銅「縦目仮面」と中国古代神話伝説との接点

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  • <Articles>Eject-Eyed Masks from the Sanxingdui Site and Their Place in the Myths of Ancient China
  • 縦目仮面,「燭竜」と「祝融」--三星堆文明における青銅「縦目仮面」と中国古代神話伝説との接点
  • ジュウモク カメン ショクリュウ ト シュクユウ サンセイタイ ブンメイ ニ

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抄録

中国四川省広漢市三星堆で発見された殷周時代の青銅器文化はその「非中国的」な性格でもって学界に大きな驚きを与えた。本論考では、三星堆文明のもつ「非中国的」な側面を象徴する遺物の一つである青銅縦目仮面に照準を絞り、それが古代蜀国では龍を表したものであることを明らかにした。その上、その特異な姿を「山海経」に記録された「燭龍」と比較し、両者が驚異的に一致したことが判明した。そこで、「山海経」などの関係文献に描かれた「燭龍」のもつ神通力について分析を行ない、青銅縦目仮面の奇妙な姿のもつ歴史的な背景を考察してみた。一方、「燭龍」の活動したとされる関係地域についても文献解析を試み、「鐘山」が「天下之中」とされた「崑崙之丘」にあたり、「鐘山之下」がもう一つの「天下之中」だった「都広之野」に該当したとわかった。その上、「崑崙之丘」と「都広之野」はそれぞれ現在の岷山山系と川西平原を指したという可能性を見いだした。これで三星堆古代蜀国における青銅造物と文献との接点を一層有力なものにしたのである。さらに、以上の結論を踏まえ、「燭龍」が古代南方の神とされた「祝融」との間に多くの共通点をもつことに注目し、「祝融」は「燭龍」から変化した神だった可能性を論証した。そして湖南省長沙市馬王堆前漢墓(一号、三号) の帛画に描かれた「神」についても、それは「女[カ]」ではなく、「祝融」だと立証し、一号墓の帛画と三号帛画との表現上の食い違いを「祝融」と「炎帝」との関係で説明を試みた。このように、前に「扶桑信仰」の原点を究明したのに続き、「山海経」などに記録された中国古代神話伝説のもう一つの原形が三星堆文開にあったことを明らかにすることができたのである。

収録刊行物

  • 史林

    史林 77 (4), 493-529, 1994-07-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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