<論説>奈良時代の土地管理と小字地名的名称

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タイトル別名
  • <Articles>The State Control of Land and the Place Designation System in the Nara Period
  • 奈良時代の土地管理と小字地名的名称
  • ナラ ジダイ ノ トチ カンリ ト コアザ チメイテキ メイショウ

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抄録

八世紀前半ごろに、土地表示の手段として用いられた小字地名的名称は、中頃以後に条里プランが完成し、土地表示の手段としては不必要となった後も、条里呼称に付加される形で使用された。小字地名的名称が付加されていた土地は「田・圃」など、校田対象となり、本来輸租ないし輸地子の部分であった。一方、制度上は園宅地の系譜に含まれる「畠」や、人工の加わった「林」、占有された「原・岡」などには、小字地名的名称が付されていなかった。小字地名的名称は、八世紀の国家が直接管理した土地に付されたものとみられる。従って、恐らくは七世紀ごろから存在した「寺田」の中には、不輸租地として確立し、小字地名的名称が付されなかった土地も存在した。山背国久世郡弘福寺領や大和国額田寺寺辺の寺田などがその例である可能性が高く、讃岐国弘福寺領・摂津職東大寺領水無瀬荘などは、輸租地と不輸租地の両者で講成されており、阿波国東大寺地は輸租地、同大豆処は不輸租地を基本としたとみられる。近江・越前・越中国の東大寺領は、墾田すなわち輸租田が経営対象であった。これらの輸祖田(地) はいずれも、小字地名的名称を有していた。小字地名的名称は従って、単に土地表示の機能のみならず、土地管理行政上の実質的機能をも有していたことになる。それが、条里プラン完成以後においても使用された理由であり、同時に地名としては未成熟であった要因でもあろう。

収録刊行物

  • 史林

    史林 78 (4), 489-522, 1995-07-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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