近世初期ケルンにおける救貧制度改革とその展開

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Other Title
  • <Articles>Entwicklung der Armenfursorge in der Fruhneuzeit dargestellt am Beispiel der Stadt Koln
  • <論説>近世初期ケルンにおける救貧制度改革とその展開
  • キンセイ ショキ ケルン ニ オケル キュウヒン セイド カイカク ト ソノ テンカイ

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一般に西欧諸都市では、一六世紀前半市政府主導による救貧制度改革が行なわれた。従来救貧改革はプロテスタント都市特有の現象であると説明されてきたが、最近では、都市の経済危機と周辺人口の流入に対処する為の宗派を問わない歓会統制の試みであったと理解されている。ドイツ最大の人口を擁すカトリック都市ケルンにおいても、救貧制度の改革がなされた。しかしそれは市参事会のイニシアティブの下になされた抜本的な社会制度改革ではなく、教区組織と教会といった、中世から続く地縁的紐帯の下でなされたものであった。それが少しでも「改革」の名に値するとしたら、人文主義の素養を身につけた一部の富裕市民による、個人的な救貧システムの改良への努力の結果であったといえる。しかも彼らの動機は、死後の救霊という伝統的な救済観念に基づいていた。従ってケルンでなされた改革は、中世から持続していた都市の救貧システムの「改良」というべきものであった。

Journal

  • 史林

    史林 84 (4), 571-601, 2001-07-01

    THE SHIGAKU KENKYUKAI (The Society of Historical Research), Kyoto University

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