<論説>紀元前二〇五年のフォイニケ和約とヘレニズム諸国の外交

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  • 伊藤 雅之
    日本学術振興会特別研究員PD(鎌倉女子大学学術研究所)

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>The Peace of Phoinike in 205 BCE and Hellenistic Diplomacy
  • 紀元前二〇五年のフォイニケ和約とヘレニズム諸国の外交
  • キゲンゼン ニ〇ゴネン ノ フォイニケ ワ ヤク ト ヘレニズム ショコク ノ ガイコウ

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抄録

フォイニケ和約は、紀元前三世紀末のローマがその存亡をかけて取り組んだ第二次ポエニ戦争(前二一八―前二〇一) に付随して生じた第一次マケドニア戦争(前二一四頃―前二〇五) を終結させた条約である。先行研究は、カルタゴの同盟国マケドニアにイタリア進攻を断念させたという点から、和約をローマの東方政策の成功の結果と捉えてきた。しかし本稿は、同条約が軍事的に敗北したわけではなかったローマに領土面で譲歩を強いるものだったという点からこれに異議を唱える。そして同戦役に調停者として関ったヘレニズム諸国の反ローマ・プロパガンダと、ローマの同盟者アイトリアにおける和平派の台頭と彼らによる同国の単独講和、およびそうした状況に機敏に対応しローマの支配地を奪ったマケドニアの動きの分析から、和約が全体としては、この三者のそれぞれの目標達成と、また同時に、特に外交面でのローマの「失敗」の産物だったという結論を導き出す。

収録刊行物

  • 史林

    史林 99 (6), 729-763, 2016-11-30

    史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)

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