<論説>南宋における四書疏釈書の登場とその要因 : 師説の継承と出版文化 (特集 : 学びのネットワーク)

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>The Chief Causes of the Appearance of the Collective Commentaries on the Four Books during the Southern Song : The Transmission of Teachings and Publishing Culture (Special Issue : Networks of Learning)
  • The Chief Causes of the Appearance of the Collective Commentaries on the Four Books during the Southern Song : The Transmission of Teachings and Publishing Culture
  • 南宋における四書疏釈書の登場とその要因 : 師説の継承と出版文化
  • ナンソウ ニ オケル シショソシャクショ ノ トウジョウ ト ソノ ヨウイン : シセツ ノ ケイショウ ト シュッパン ブンカ

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説明

本論は朱子『四書章句集注』の解説書、いわゆる四書疏釈書が南宋で登場したその要因を考察した。宋代の経書注釈書の特徴は「議論」形式であるのに対し、『四書集注』は簡略を宗とする「訓詁」を重んじた。そのため該書は読者には理解が難しく、朱子は口頭での解説を積極的に行い、その結果多くの語録が残された。四書疏釈書はそのような語録を引用した書物であるため、朱子の意に反し「議論」形式に逆戻りしたものである。一方、経書を言葉で論理的に説明する方法を批判した陸象山も、自説拡大のためには時に多言を費やし、門人達も語録を編纂するなど師の言葉を多く残そうと務めた。しかし陸学派は朱子学との対抗上、「文字言語」を用いない学問として自己規定することで、自派の純化を図ったが、その勢力は朱子学に及ばなくなっていった。つまり、知識人の底辺が拡大した南宋社会にあって、大量に生み出された初学者たちは、言葉による丁寧な解説がなければ理解できず、四書疏釈書はそのような人々の需要に応じて登場したのである。

収録刊行物

  • 史林

    史林 101 (1), 44-82, 2018-01-31

    史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)

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