<論説>近世初期徳川政権の親族政策について --徳川「御三家」の成立をめぐって--

DOI HANDLE Web Site オープンアクセス
  • 劉 晨
    京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>The Formation of the Tokugawa Gosanke: Policies of the Tokugawa Regime Dealing with Its Familial Relations in the Early Edo Period
  • 近世初期徳川政権の親族政策について : 徳川「御三家」の成立をめぐって
  • キンセイ ショキ トクガワ セイケン ノ シンゾク セイサク ニ ツイテ : トクガワ 「 ゴサンケ 」 ノ セイリツ オ メグッテ

この論文をさがす

抄録

本稿では、近世初期における徳川将軍家の親族政策について考察した。これまで対象が譜代や外様に集中してきた近世武家編成の研究において、ほとんど扱われなかった将軍家親族の配置や役割の実態に迫るため、ことに「御三家」の枠組みと家格の成立経緯に目を向ける。初代将軍家康は政権成立期の政治情勢に応じて、息子たちに重要な役割をさせながら優遇も与える親族活用策を行った一方、親族身分の政治的創出にまでは踏み込まなかった。二代将軍秀忠は義直と頼宣がすでに賜った優遇を頼房と息子の忠長にも与えた後、四人セットで特別に扱うことにより、武家編成による徳川一門の創出を図った。三代将軍家光の代に至って、忠長の消滅と親族再生産の停滞によって一門最上位を独占し続けた尾張・紀伊・水戸三家の枠組みの固定と家格の形成がなされていき、いわゆる御三家という独特な存在として編成されるに至った。

収録刊行物

  • 史林

    史林 102 (3), 439-473, 2019-05-31

    史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ