<論説>武氏祠画象石「水陸交戦図」の一解釈

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  • <Articles>The 'Battle at the Bridge' of the Stone Relief of the Wu-shih tz'u 武氏祠
  • 武氏祠画象石「水陸交戦図」の一解釈
  • ブ シシガゾウセキ スイリク コウセンズ ノ イチ カイシャク

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抄録

武氏祠画象石の「水陸交戦図」は、種々の点で特異な要素を含む画象である。つまり、後漢代の戦闘に於いては用いられない車馬或いは婦人等が、戦闘画面中に登場することは、後漢の風俗に合致しない。又、武梁祠以外の一群の武氏祠画象石中に、この主題が四回表わされ、しかも大画面である。こうした点から、戦闘図とはいえ何らかの故事をもつものと考えられている。しかしながらこれまでの解釈はいずれも、故事の発生した時代、或いは地域が山東画象の題材としては余りにも遠隔すぎはしないかという疑問がある。そこで、私はこの図の題材について再検討し、その結果「水流注」「後漢書」等に記載をみる "呂母起兵" の故事ではないかと考える。呂母起兵の事蹟とは、王莽時代、赤眉の乱の口火を切ったともいうべき出来事で、山東沿岸にて呂母なる婦人が、吾が子を殺した県の役人に復讐を画て、任侠らを海に結集し、その役人を攻め討ったという劇的な物語である。

収録刊行物

  • 史林

    史林 48 (3), 411-430, 1965-05-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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