ハプスブルク君主国における「中欧」地域概念の形成史(1648-1918) : 複合国家像と国制改革案における「二元的二元主義」の刻印

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タイトル別名
  • The Formation of the Concept of "Central Europe" and the "Dual Dualistic" Tradition in the Habsburg Monarchy 1648-1918
  • ハプスブルク クンシュコク ニ オケル 「 チュウオウ 」 チイキ ガイネン ノ ケイセイシ(1648-1918) : フクゴウ コッカゾウ ト コクセイ カイカクアン ニ オケル 「 ニゲンテキ ニゲン シュギ 」 ノ コクイン

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抄録

ハプスブルク君主国の崩壊以来,旧君主国地域の様々な国民グループによって提唱されてきた諸「中欧」概念においては,自グループを「中欧」の多元性を担う存在として位置づける言説構造が共通の特徴として見出される。本稿では,こうした言説構造の系譜を,近世期君主国の複合国家的伝統の中に遡った後,19世紀後半以降の様々な国制改革案を整理していく。その際,ハプスブルク君主が持ち合わせる「神聖ローマ帝国皇帝にしてハプスブルク家領の長/ハプスブルク家領の長にしてハンガリー国王」という「二元的二元主義」を重視することで,前者の二元性を重視する「大オーストリア主義」と,後者の二元性を重視する「小オーストリア主義」という指向性が,諸国制改革案の中にどのような刻印をとどめているかに注目する。

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