教員養成に関する比較発達史研究の試み(2)― 帝政ロシアにおける初等学校教員の目的養成 ―

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タイトル別名
  • A Comparative Study on Teacher Training and Education (2): The Establishment of Teacher Training for Elementary Schools in Imperial Russia
  • キョウイン ヨウセイ ニ カンスル ヒカク ハッタツシ ケンキュウ ノ ココロミ(2)テイセイ ロシア ニ オケル ショトウ ガッコウ キョウイン ノ モクテキ ヨウセイ

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抄録

本論は,教員養成(師範教育)におけるジャーマン・インパクトという視角に留意しながら,各国が19-20世紀の国際関係のなかでどのように教員を養成したのかに関する比較発達史的に分析しようとする研究の一部をなす。帝政ロシアでは,クリミア戦争の敗北と国家財政の破綻を背景として,1850年代後半より,国家・社会の近代化に向けた取組が本格化した。そうした中,農奴解放に伴う初等学校網の拡大に対応するため,初等学校教員を養成する事業が政府主導で進められた。具体的には,主にプロイセンをモデルとして,教員セミナリア(1870年)と師範学校(1872年)が設立され,帝政ロシアの初等学校教員の養成に中心的な役割を担った。ただし,当時の初等学校教員の養成において,ヘルバルトの教育思想又はヘルバルト主義教育が,何らかの特別な位置づけがなされていたわけでなかった。

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