関西日仏学館と女性たち --九条山時代(1927-36)における女子部の活動を中心に--

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タイトル別名
  • The "women's division" of the Institut franco-japonais du Kansai: the activities during its first years (1927-36)
  • カンサイ ニチフツ ガッカン ト ジョセイ タチ : キュウジョウサン ジダイ(1927-36)ニ オケル ジョシブ ノ カツドウ オ チュウシン ニ

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説明

関西日仏学館は,フランス語教育と日仏文化交流の拠点として1927年に京都山科の九条山に誕生した。高等教育機関として構想されたこの施設は,女学校のフランス語教員の養成を掲げ,「女子部」を創設する。当時,男性のための高等教育機関では英語とドイツ語が主流となっており,フランスは女子部を通して,関西における本国の勢力拡大を目論んだのである。言い換えれば,これは文化・外交戦略の一環でもあった。ただし,同時に日本側が意欲ある女性のために教育機会を開こうと,このアイデアを強く後押ししたことも見逃してはならない重要な点である。本稿では,日仏両国における女性の教育機会拡大と社会進出の機運の高まりという時代背景を視野に収めながら,学館女子部の初期の活動(1927-36)を検討していく。学館のプログラムを繙いてみれば,1932年度より,女子部の授業内容が一層充実したものとなり,女学校教員の養成が本格化していることがわかる。そして,1933年度には2名の女学生が揃って文部省の女学校フランス語教員試験を突破したと記されているように,そのプログラムは確かな実績を上げていた。また,学館がフランス料理やフランス刺繍などを教える無料の土曜講習会を開くなど,館外の女性にも学ぶ場を提供していた点も興味深い。こうした学館を取り巻く女性の学びは,20世紀前半という時代に鑑みれば,先進的な試みであったと言えるだろう。これまで踏み込んで論じられることのなかった学館の女子部に光を当てた小論が,今後,関西における女子教育や文化交流を再考する一助となることを強く願っている。

収録刊行物

  • 人文學報

    人文學報 117 107-121, 2021-05-31

    京都大學人文科學研究所

参考文献 (11)*注記

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