<論説>瀘州淯井監の設置と塩資源 --宋朝辺境統治の一側面--

  • 張 哲僥
    京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>The Establishment of Yujing Jian in Luzhou: A Case of Frontier Governance by the Sung Dynasty
  • 瀘州淯井監の設置と塩資源 : 宋朝辺境統治の一側面
  • ロシュウ淯イカン ノ セッチ ト シオ シゲン : ソウチョウ ヘンキョウ トウチ ノ イチソクメン

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抄録

宋朝は乾徳三年(九六五)以降川峡地域の統制を開始し、咸平年間(九九八~一〇〇三)には南方諸路の安定化を図ったが、澶淵の盟(一〇〇四)及び夏州の李氏勢力との和平締結(一〇〇六)までは、南方に力を傾注する余裕がなかった。しかし、北・西北方面が安定するにともなって、南方諸路の経略に専念できるようになった。本稿は、こうした時代的文脈に注目して、瀘州南部に設置された淯井監を一例として十一世紀初期に南方地域の支配が強化されていった過程を究明するものである。重要な産塩地である淯井監の統治を強化するために、宋朝は真宗大中祥符年間(一〇〇八~一〇一六)に積極的に先住民の反乱を鎮圧し、その後も淯井監の軍事・行政機能を改善した。本稿によって真宗朝の南方経略において西北の情勢が大きく作用していたこと、辺境地域における塩資源の管理方法、そして軍事介入後は先住民に対して穏健策が取られたことが明らかになった。

収録刊行物

  • 史林

    史林 104 (3), 407-440, 2021-05-31

    史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)

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