<論説>陵号考 --山陵制度転回の一齣--

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>A Study on Ryōgō, Names of Imperial Tombs: A Scene from the Evolution of the Sanryō System from the Ancient to the Medieval Period
  • 陵号考 : 山陵制度転回の一齣
  • リョウゴウコウ : サンリョウ セイド テンカイ ノ ヒトコマ

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抄録

本稿は山陵(王陵)に関する研究の素材として、文献史料としての「陵号」に注目する。古代日本が大陸から取り入れた陵号による天皇陵呼称は中世にも引き継がれた。しかし、中世公家社会においては陵号の誤認も広がっている。本稿では公家社会の政務やそこで作成された文書を注意深く観察することにより、陵号とそれに対する貴族の認識を検討した。その結果、摂関期においてふたつの天皇陵が同一の呼称を陵号とし、あるいは実態の変化を伴わずただ陵号だけが変更される複雑な事態が存在したことが分かった。また貴族の山陵に対する関心が、今上天皇との関係性(誰の山陵か)に集中した結果、遺体の所在地に因んだ古代以来の陵号がミスマッチな存在になってしまったことも混乱の背景に見出した。こうした使い勝手の悪さにもかかわらず、古代に固執するかのように、中世公家社会は陵号を用いていたのである。

収録刊行物

  • 史林

    史林 104 (4), 459-494, 2021-07-31

    史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)

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