琉球政府時代の久志村における村落と社会教育

書誌事項

タイトル別名
  • The Community and Social Education in Kushi Village during the Period of the "Government of the Ryukyu Islands" (1952-1972)
  • シリョウ リュウキュウ セイフ ジダイ ノ クシムラ ニ オケル ソンラク ト シャカイ キョウイク

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抄録

本資料は、琉球政府時代の久志村における1965年7月から1966年6月までの社会教育主事勤務表(日誌)である。当時の久志村(現在名護市東部)は人口約6千人の稲作を中心とした農村であったが、1960年代には急速に砂糖きび作への転換が進んでいた。そして、村の南部(辺野古区)にはすでに米軍の基地とその周辺の街が形成されていた。日誌からは、社会教育主事は頻繁に字の公民館(字事務所を兼ねる)を訪問・指導し、地域社会との結びつきが強いことがわかる。また、社会教育主事の活動から、当時の社会教育行政が最も力を注いでいたことは「家庭教育学級」や「婦人会活動」、「教育隣組」等の生活に深く関わる事への指導であったことがわかる。

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