中国の曲尺と日本のマガリカネ

  • 沖本 弘
    (財)竹中大工道具館副館長、工学博士

書誌事項

タイトル別名
  • Chinese and Japanese Squares
  • チュウゴク ノ カネジャク ト ニホン ノ マガリカネ

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抄録

歴史的には、日本の大工道具は中国や朝鮮半島から多くの影響を受けているといわれる。中国の大工道具調査で得られた結果と入手した文献資料もとに、日本の曲尺との比較考察を行った。 1)  中国では、考古資料として唐小尺といわれる目盛りの金属製の曲尺は存在していた。現代中国の曲尺は木(竹を含む)製で、1辺だけに目盛りが刻まれている場合が多い。形として、単にL形のものとL形に45度の斜材を付加したものがある。 2)  奈良時代から金属製であったと推定できる日本の曲尺は現在もすべて金属製である。江戸時代には鋼鉄、真鍮製が存在した。江戸後期には目盛りは2辺に刻み、裏目、吉凶文字目を刻むようになったが、前期には一定してなかったようである。裏目は江戸初期には実物資料(堺出土)、文献(塵劫記)で確認できる。  裏目について、中国の曲尺にみられた45度をはかる曲尺は、円に内接する正方形を容易に求めることができる。日本では、45度の定規が江戸期以前の資料に見られないことから、45度の定規を早くに裏目に換算していた可能性がある。 3)  吉凶文字目は中国では魯班尺と云われるが、最初は造営尺1.2尺を8等分していたことは文献(⌈ 事林広記 ⌋ ) が示している。明代に入って1.44尺を8等分するように変化している。1.44尺と考えられる門尺を現地調査でも観察した。日本の曲尺の吉凶文字は1.2尺を8等分していることを考えると、南宋時代の影響を引き継いでいるといえる。

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