日本における看護の変遷

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  • ニホン ニ オケル カンゴ ノ ヘンセン

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type:論稿

現在のわが国の看護制度は,敗戦後の混乱期に GHQ(連合国軍総司令部)の指導のもとに再編成されたものを母体としているが,その後の歩みを自力で切り開いたのは我々の先輩達である。昭和23年(1948年),戦時中につくられた国民医療法が廃止され,新たに医療法が制定されたことに伴い新たに,保健婦・助産婦・看護婦法が制定された。同時に厚生省医務局に看護課が新設されたのはシンボリックなことであった。昭和26年4月,看護婦は高等学校卒業後3年,保健婦,助産婦は看護婦学校卒業後1年間の学校,養成所を卒業した上,さらにそれぞれの国家試験に合格したものに対し,厚生大臣が免許を与えることとした。この時准看護婦制度の創設。その後,看護系大学課程の誕生(昭和27-28年),同短期大学課程の誕生(同29年),進学コースの誕生(同32年),基準看護の開始(同33年),高等学校衛生看護科発足(同39年),看護教育課程(カリキュラム)の改正(同42-43年・平成元年・同9年),そして現在,大学院で看護学を学ぶ者が増えるなど,様々な節目を経てわが国の看護制度は整備されていくことになる。ここに至るまでの歴史的変遷について述べ,それぞれの時代の看護の性格や位置付けを確認する。

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identifier:KJ00000048873

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