奈良女子高等師範学校附属幼稚園の保育観 −大正13年~昭和14年の『うなゐの園生』を中心に−

抄録

奈良女子高等師範学校附属幼稚園では、森川正雄が主事であった時期(大正3年から昭和14年)の大正13年に保護者による後援会が発足し、後援会冊子として『うなゐの園生』が発行された。森川を始め、職員や保護者の記事が記載され、それぞれの保育観がうかがわれる。当時の校長であった槇山栄次により生産主義が導入され、実用的作業が手技や観察の保育内容として取り入れられたことが明らかになった。子どもの発達特性や個性、家庭環境の理解がまず必要であるとする森川の保育観が保姆たちにも理解され、保育観の根幹となっていた。子どもの発達や社会の必要に応じた躾の在り方は、日々の子どもの姿から捉えられ、家庭を指導しながら共に子どもを育てようとしていた。時局の影響を受け、保育内容が戦争にまつわるものが増えていく中でも、基本的な保育観は変わらなかった。

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