1950 年代の国際政治と講和問題の日独比較

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書誌事項

タイトル別名
  • International Politics in the 1950s and the Comparative Analysis about Peace Treaty Plan between Japan and Germany
  • US-Soviet confrontations and the Stalin Note
  • 米ソ対立とスターリン・ノート

抄録

本稿では、1950 年代の国際政治におけるソ連の講和条約計画について、日本とドイツの状況を比 較した。 冷戦の緊張のなかで、米ソ関係は絶えず悪化した。欧州情勢においては、ベルリン封鎖、東西ドイツの成立、そして西ドイツの再軍備政策がソ連外交を守勢へと追い込んだ。これに対して極東情勢では、中華人民共和国の建国と朝鮮戦争が、アメリカとソ連との国益が衝突した出来事となった。これらの出来事のなかで、日本とドイツの講和条約に関する問題は、1950 年代初頭に国際的な争点となった。アメリカ主導の対日講和案に対抗して、1951 年 9 月 5 日、ソ連は独自の対日講和案(グロムイコ提案)を示し、それをサンフランシスコ講和会議で発表した。1952 年 3 月 10 日、ソ連はさらに、欧州統合の一環である欧州防衛共同体計画の進展を防ぐために、独自の対独講和案(スタ ーリン・ノート)を米英仏に提案した。とくにスターリン・ノートは、中立を基礎としたドイツ統一提案であり、歴史家はその真意を明らかにすることに大きな関心を持った。 本稿では、ソ連の講和条約計画を検討することにより、ソ連が日本とドイツとを中立化することを追求し、さらにはソ連に有利な地域構造を構築する意図があったことを明らかにした。

収録刊行物

  • 開智国際大学紀要

    開智国際大学紀要 21 (2), 97-107, 2022-03-15

    学校法人 開智学園 開智国際大学

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390291932642161792
  • DOI
    10.24581/kaichi.21.2_97
  • ISSN
    24334618
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • KAKEN
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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