Lesyaの起源について

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  • 徳永 宗雄
    京都大学大学院文学研究科教授・サンスクリット学

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タイトル別名
  • On the Origin of the Lesyas

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抄録

初期ジャイナ経典の一つ Uttarādhyayanasūtraの第34章に,生命体が各自の行為の結果に応じて六種の色 (Leśyāと呼ばれる) に変化しながら輪廻するというLeśyā説が説かれていることから,ジャイナ教ではかなり古い段階からこの種の思想をもっていたと見られる.Leśyā説については,これまで,後代のジャイナ教哲学の観点から研究者の関心を引くことはあったが,色名の起源や六色でなぜ一組になるのかといったことが疑問視されることはなかった.ジャイナ教のLeśyā説と似た考えはパーリ文献やマハーバーラタの『解脱法品』にもあり,前者ではアージーヴィカ派のAbhijāti説,後者ではSanatkumāraの六色説として説かれている.これら三種の六色説は色の名前と配列が若干異なっているが,六色一組という点では共通している.本稿ではまず三種の六色説を比較してジャィナのLeśyā説が最も古い形態を保持することを示し,ついで,Leśyā説の起源を探る.マハーバーラタ『解脱法品』は金細工師等の例えを引いて六色説を述べており,このことから,紀元前一千年期の後半に「第二の都市化」を経験しつつあったガンジス中流域で発達する冶金技術とLeśyā説に何らかの関係が予想される.そこで,この観点からヴェーダ文献,パーリ文献,叙事詩,カウティルヤの『実利論』,医学文献に見られる金属の種類とその色を調べると,Leśyā説の六色が古代インドの主要六金属 (合金を含む) の色に対応していることが分かる.一部奇妙な色名も当時の金属業界の用語と理解すると分かりやすい.また,六色の一つに対応する真鍮 (ārakūṭa) がギリシャ語ὀρεί-χαλκοϛの借用語と見られることから,古代の真鍮製造技術,いわゆる「下方蒸留」が,「第二の都市化」時代に西方からバクトリアを経由してインドに導入されたと考えられる.

収録刊行物

  • 哲學研究

    哲學研究 580 [1]-[12], 2005-10-10

    京都哲学会 (京都大学大学院文学研究科内)

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