<論文>Jホラーにおける伊藤潤二マンガのアダプテーション --聴覚メディアの観点から

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  • 宮本 法明
    京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程

抄録

小中千昭や高橋洋は、1990年代以降の日本におけるホラー映画(Jホラー)を代表する存在である。当初、彼らの創作は全く新たなホラー表現を開拓する運動の側面を持っていた。従来のホラー映画と異なり、生身の俳優がただ立っているだけで観客に恐怖をもたらすことができるという彼ら特有の表現方法「小中理論」はその象徴である。彼らは洗練された言葉で自作について語り、いわゆるJホラーの「正史」を形作った。実際、その歴史は日本映画の通史を記述した文献にも反映されている。しかし、2000年頃の映画雑誌には小中理論から逸脱する伊藤潤二マンガの映像化作品を特にJホラーと呼ぶ用例が存在していたのも事実だ。当時のJホラーに関する雑多な言説は、清水崇と伊藤潤二の両義的な関係ゆえに生み出されたと思われる。なぜなら、清水は小中理論と正反対の表現をするにもかかわらず、高橋洋によってJホラー運動の正統な後継者として売り出されたからである。清水が伊藤作品を映像化した『富江 re-birth』にはそうした過剰な視覚表現が認められるが、他方『悪魔の理論』では聴覚メディアの恐怖が抑制された表現で描かれている。後者の源流は、伊藤の「中古レコード」を原作とした『戦慄の旋律』にあるだろう。当時のJホラーは、伊藤潤二マンガのアダプテーションを通して、過剰な視覚表現と聴覚メディアに媒介された恐怖という複数の可能性に向けて開かれていたのである。

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390293246508470144
  • DOI
    10.14989/kjcms_1_23
  • ISSN
    24366013
  • HANDLE
    2433/275976
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • IRDB
  • 抄録ライセンスフラグ
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