観測的宇宙論への機械学習の導入事例――エミュレーション技術とすばる望遠鏡への応用

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タイトル別名
  • Machine Learning in Observational Cosmology―Application of Emulation to Subaru Observations
  • カンソクテキ ウチュウロン エ ノ キカイ ガクシュウ ノ ドウニュウ ジレイ : エミュレーション ギジュツ ト スバルボウエンキョウ エ ノ オウヨウ

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抄録

<p>宇宙開闢後わずか38万年後の姿を捉えた,宇宙マイクロ波背景放射(Cosmic Microwave Background, CMB)は,観測可能な最大スケールにおける宇宙の姿を明らかにした.全天のあらゆる方向から届く,灼熱のビッグバン宇宙の黒体輻射の名残りは,到来方向に依存してO(10-5)の微小な温度の違い(揺らぎ)を示しており,その詳細な分析がΛCDMモデルと呼ばれる現代の標準宇宙モデルの確立に決定的な役割を果たした.ところが,最近になってCMBと近傍宇宙の観測との矛盾が取り沙汰されている.ハッブルテンションと呼ばれるこの問題は,ΛCDMモデルの綻びを示しているかもしれない.</p><p>CMB期から遥かな時を経て,微小な種揺らぎは重力により増幅され,やがて形作られる星,銀河,銀河団といった階層的な宇宙の大規模構造.宇宙初期の姿を2次元天球面上のスナップショットとして写し出したCMBに対して,大規模構造は非線形進化を経て作られた複雑なネットワーク状の3次元パターンであり,潜在的により多くの情報を有している.時間的にも距離スケール的にもCMBとは相補的な大規模構造は,ΛCDMモデルの妥当性をより厳密に検証する可能性を秘めている.</p><p>大規模構造の観測データから宇宙モデルやそこに内包される宇宙論パラメータを導くには,理論予言と観測データの比較に基づく統計推論が必要となる.様々なモデルとパラメータの組み合わせの中で,観測を最もよく再現するものは何かという問題である.これを高精度に行うには精巧な理論予言が必要となる.宇宙の構造形成シミュレーションは,計算コストの高さから長らく統計推論への応用が叶わなかった.近年飛躍的に進展したデータ科学的方法論は,文字通り天文学的に大容量のデータを用いて人類が実証可能な最大スケールの現象を解き明かそうという宇宙論においても有用である.上記の問題は,いわゆる「シミュレーションに基づく推論」の範疇にあり,宇宙論,物理学だけに留まらず気象科学,生態学,疫学,分子動力学,工学,経済学などの諸分野に共通する大きなテーマとなっている.</p><p>シミュレーションに基づく宇宙論を可能とすべく,我々は大規模シミュレーションデータベースの構築と,エミュレータの開発を目的とした「ダーククエスト計画」を2015年より推進している.2018年には初期のデータベースに基づく,ソフトウェア「ダークエミュレータ」の完成を見た.その後,模擬観測データを用いた種々のテストをクリアした後,このほどすばる望遠鏡が世界最高精度で測定した重力レンズ効果,およびスローン・デジタル・スカイ・サーベイが提供する現存する最大の銀河の3次元地図へと応用し,遂に宇宙論的帰結を導くことに成功した.計算コストの大きなシミュレータをエミュレータに置き換えることが,シミュレーションに基づく推論の具体的な実装例として機能することを実証した.</p><p>今後ますます増える観測データと,先鋭化するデータ科学の方法論の応用は,宇宙論の景色を大きく変えるかもしれない.すばるが,日本が,世界の宇宙論をリードするには,このような新しい手法が導き出した帰結を,どれだけ説得力を持った形で世に提示できるかが1つの鍵になるであろう.今後の展開からますます目が離せない.</p>

収録刊行物

  • 日本物理学会誌

    日本物理学会誌 77 (10), 656-665, 2022-10-05

    一般社団法人 日本物理学会

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