「資治通鑑」箚記 (一)

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  • シチ ツガン サッキ 1
  • A Note for "Comprehensive Mirror for Aid in Government" 1

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抄録

type:Article

北宋の司馬光が編纂した編年体通史である『資治通鑑』は、中国史学史上の重要文献の一つであり、それに関する研究論考も厖大な数にのぼる。しかし、『資治通鑑』の研究史を概観すれば、従来の研究では編纂方法の紹介や分工問題の解明に重点が置かれ、司馬光が史料をどのように取捨あるいは改変してこの書物を編纂したのかを具体的に検証しようとした者は少ないように思われる。そこで筆者は、こうした視点から『資治通鑑』を読んでみようと考え、尾張藩儒石川安貞が史料の出典を逐一明示した労作である『資治通鑑証補』などの助けを借りながら、これまで些かの作業を進めてきた。以下はその報告の一部である。今回取り上げた範囲は『資治通鑑』巻一より巻八までで、これは司馬光が治平三年(一〇六六)にこの書物の一部を『通志』の名で初めて英宗に上進した、その部分に相当する。なお、底本には標点本『資治通鑑』(北京中華書局、一九七六)を用いた。括弧内の数字はその巻数と頁数で、たとえば(一/七)は巻一、七頁を示す。

北宋司馬光編纂的一部編年體通史『資治通鑑』是中國史學史上的重要転典籍之一、關於『資治通鑑』的研究論考達到厖大的數量。然而從來的研究着重了編纂方法的介紹同分工問題、對於司馬光怎様選擇或者改寫史料而編纂『資治通鑑』、詳細地研究的論考却很少。因此、我擬從這様的觀點來閲讀『資治通鑑』、參看日本江戸時代尾張藩儒學者石川安貞編纂的『資治通鑑證補』等書、這幾年來一直進行工作。本稿是那些備忘録的一部分。

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